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頭上を不安と恐怖が覆っていくなか、上野恩賜公園の桜が満開だ。ここ数年毎年訪れているが、今年は宴会をする人びとが少ないこと以外は、桜が放つ透明感も儚さも空の青さも、変わりがない。上野駅の公園改札は工事が終わって様変わりしていたけど。

上野東照宮まで歩くと、ライトアウターの下にうっすらと汗をかくような風が吹いている。41歳になって初めて昨日、ワキ下用の制汗剤を買った。汗のかき始めは臭いからね。こんなに便利なもの、なんで今まで使わなかったのだろう。学ぶべきことは何歳になっても多い。

子どものころからそうしていたように、ひらひらと名残惜しいように舞う花びらを捕まえて、桜笛をならした。2011年の3月も、同じように桜笛を鳴らしたように覚えている。自粛自粛自粛の256乗くらいの中で、2011年4月10日にはサーキットでイベントを運営していた。そうすることが、幸運にも被害が少ない地に住むに自分たちにできることだとおもったからだ。

正直を言えば、怖かった。空の上から降りてくる巨大な手で押しつぶすような「ジシュクセヨ」の圧力。今年の圧力は、2011年とは異質なものだとはおもうけれど、怖いし、不安だし、悲しいことには変わりがない。

当時1歳だった娘のオムツが手に入らない。藁をも掴むおもいで近所のドラッグストアに行くと、娘の存在に気づいたのか、店員が奥に隠していたオムツを1パッケージ、出してきてくれた。

上野恩賜公園で桜笛を鳴らしていたら、和服を来た金髪の外国人カップルが不思議そうな顔をして話しかけてきた。何言ってんのかわかんねぇから、笑顔でごまかしながら「やってみろ」と言う。何度目かにピーッっと高い澄んだ音がしたり、ブルブルブルッと鈍い音がしたりして、花びらは破れ、ふたりは笑った。

巨大で強力な苦しみや不安や悲しみに冒されて、それらが頭上の空の全てを覆うようなときにも、光はさしている。

見知らぬ人の優しさ。
ことばが通じなくても笑顔でいてくれること。
桜は毎年、咲いてくれること。

そんな光も、変わりがない。誰も経験していないようなことが次々に現れ、変化のスピードが二次曲線的に加速しているようだからこそ、変わらない光だけは見つけられるようでありたい。

とりあえず、今日学んだことは「ヌリヌリ制汗剤はすげぇ」。

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