「仏道を歩む意味」
2020.01.13 御正忌報恩講特別講演@西本願寺
講師 山本攝叡師(行信教校講師)
仏道が日常生活と離れていることはないか?
私は、車も何も通っていない信号待ちで、衣をつけているときは青に変わるのを待ち、私服のときは左右を見て赤でも渡ってしまう経験がある→みなさんも、お寺に来たときだけお念仏している、というようなことはないですか?
近江商人の話
1 伊藤忠創業者 商売道と仏道は一つのものだと思う
2 たねや(和菓子) 小豆本来の味のする水ようかん。水ようかんは殺菌のため加熱が必要で、そこで小豆の風味が変わってしまう。なので、無菌室を作って非加熱の水ようかんをつくることにした。「本当の小豆の味を知ってほしい」との思い
3 近江商人の商売訓「客の欲しがるものを売るな。為になるものを売れ」
信心の心は「まことのこころ」
我々は、死ぬまで「まことのこころ」は生まれない
まことのこころ、は嘘がないことだが、ここでの嘘は単に事実でないことを言うだけでなく、心と裏腹な言葉を発することも含む厳密なもの
「まことのこころ」は仏語を聞くことにしかない
生まれたての子は「なんまんだぶつ」を知らない
物心がつき、親など周りから聞かされてはじめて「なんまんだぶつ」を知る=「ききはじめ」
死ぬまで「ききはじめ」の連続
日常生活、どんなときでも「なんまんだぶつ」
お念仏は仏の本願が働いている姿と心得る
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