「一汁一菜でよいという提案」について

曇り時々雨

今読んでいる本と、これから読もうとしている本の話をしようと思う。

まず、今読んでいる本は、土井善晴さんの「一汁一菜で良いという提案」だ。
内容としては、毎日「今日のおかずは何にしよう」と悩んでいる人たちに向けて、味噌汁とご飯と漬物で良いんですよという提案が成されているという、だいたいこんな感じから始まる。
一言でこう言ってしまうと、危うく薄っぺらい内容と捉えられるかもしれないが、そんなことは決してなく、日本人の知恵、自然と人間の関係性、食べることは生きることと言った哲学的な視点等、ぶったまげるほどに学びの多い、非常に読む価値のある本だと感じている。
まあ、まだ全部は読んでいないのだけれど。

で、なぜ味噌汁とご飯と漬物で良いのかというと、一つには人間の手によって味付けされている料理が多過ぎる現代において、味噌も米も漬物も、微生物や大地の作用によって味が作られる食べ物である為、人間がコントロールしている部分が少なく、自然の力を食べるということがエネルギーになるし体に良いんだよということ。
もう一つは、味噌汁と一口に言っても中にあらゆる具を入れることができ、具沢山味噌汁にすることによって味噌汁一品で十分栄養バランスを備えた献立になるということ。
また、味噌の中ではO157等の病原菌はほとんど生存することができず、人間にとってプラスになる菌しか繁殖できないという科学的事実にも触れらている。
日本人が随分前から作り、食べ続けてきた味噌という食材の優秀さ、ポテンシャルが余すことなく語られているのだ。

僕自身、最近、お味噌汁がとても好きかもって思うようになってきたところだった。
会社に持っていく弁当もここ最近は8割がおにぎりとインスタントの味噌汁という組み合わせで、とびきり楽しみでもないけど全く飽きもしない。
味噌汁を飲むと安心するし、ほっこりするし、意外とお腹も膨れるし、かといって決してしんどくない満足感が得られる。
ビックマック好きだけど食べた後はなんか心臓がバクバクするのと、味噌汁は対局の食後感だと思う。
体に染み渡るってこういうことなのかと思うし、味噌自体は元をたどれば異国から来たものかもしれないけれど、我々日本人の、というよりも日本の気候や風土に根付いてきた食べ物というのは、遺伝子レベルで体が欲しているのかもしれない。

僕は、もともと、日本人だから和食を食べるべきとは思わない派だ。
なぜなら、僕自身、もの心ついた時から朝食は食パンの方が多かったし、これは和食でこれは洋食と認識して食べることもほとんどない環境で生きてきたし、それでいて僕は日本人なんだけれど、国籍と食べ物がリンクしあって生活の中に機能しているという感覚を持たずここまで生きてきたからだと思う。
ハンバーグはどちらかといえば洋食に分類されるだろうけど、僕が育った家庭では一緒に出てくるのはご飯であることが多かったし、さらには味噌汁もある。しかしハンバーグのお皿にはこれまた「洋食寄り」のポテトサラダが添えられていて、いわゆる和なのか洋なのかの議論など興味のない世界からやってきた「ハンバーグ定食」的なメニュー構成が家庭料理としてのハンバーグの位置付けだった。
それは何も我が家だけの特別なスタイルではないことは、実際に「ハンバーグ定食」なる商品が多くのお店のメニューとして市民権を得ているし、それに対して「これって洋食なの?和食なの?」っていちいち好奇心を開花させる人を、少なくとも僕の身近では見たことがないという個人的な経験則から言えることだ。

そしてこの本の中においても、土井善晴さんは家庭料理の中においては和食と洋食を意識しすぎる必要はなく、ご自身も味噌汁にパンを合わすことだってあるし「フレンチはこう」「イタリアンはこう」などという風に囚われず、冷蔵庫にあるもので食べれば良いと言っておられる。

この本の凄いところは、単なる料理本ではなく、そもそものこの地球上においての人間の、日本人の暮らしとはどういうものか、食べるとは、生きるとはどういうことかという根本に立ち返った哲学が語られていることだと思う。

和食も洋食もジャンルレスで食べてきた僕の現代的な食体験の中にあっても、味噌汁は別格であるということが徐々に僕の遺伝子によって気づかされつつあった中で、土井善晴先生による味噌汁最強説をインプットしたことによって、より一層味噌汁のことが好きになった。

味噌汁が日本人のソウルフードって本当のことなんですねと実感。

今更ながら。

相対的に見ると今更であっても、僕の中では最新シングルリリースの鮮度を以て今まさに語られた訳である。
絶対評価で行きましょう。

今日はこの辺で終わります。
「これから読もうとしている本」については、また後日書けたら書こうと思う。

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