美的 詩的 素敵なもの 〜「流動体について」について〜
美を感じるものに惹かれる
美を追い求めている
詩を感じるものに惹かれる
詩を求めている
美的であって詩的である。
普段はそういうものに出会った時に
僕は「素敵だな」と感じる。
美的ってなんだろう
美しいもの、美学、美意識。
美を意識することが、なんか大切に思える。
美を感じた時に、なんか豊かになる。
詩的ってなんだろう
調べてみたら、
“詩のような趣のあるさま。「詩的な響きをもつ言葉」”
とあった。
僕なりに考えてみたら、詩的とは、言葉にして言い表そうとすること、その行為、そのプロセス。そんな風な感じだろうか。
テンプレートな言葉ではなく、哲学していて紡いでいて、表現されている。それが詩的ということかも。
詩を感じた時に、僕もなんか哲学している。
その時間は、豊かだと感じる。
美的も詩的も、言葉としてジャストミートしているのか、それはわからない。
「素敵」の一言で片付くんじゃないの。
そう言いたくもなり、それだけでは足りないとも思う。
だから、「美的で詩的で素敵なもの」。
日々の暮らしの中で手に取るもの、目を止め心を留め、抱きしめるもの。
ものや情報に溢れたVUCAな世界だからこそ、自分の中の基準、ベーシックをしっかり持っていたい。
しばらくは僕の基準は、「美的で詩的で素敵なもの」。
小沢健二の「流動体について」という素敵な曲の詩には、
「映画的 詩的に感情が振り子振る/躍動する流動体 数学的 美的に炸裂する蜃気楼/躍動する流動体 文学的 素敵に炸裂する蜃気楼」
このようになんと、美的も詩的も素敵も見事に散りばめられている。
小沢健二さんが言わんとしていることと今僕が書いている主旨とは違うのかもしれないけど、僕にとっては「宇宙の中で良いことを決意する」時に必要な基準が
「美的 詩的 素敵」なのかもしれないと思った。
真実がみえない。正解はあふれている。
自分の中に目を向けた時に還る場所があるとしたら。
炸裂する蜃気楼を前に、ここに確かにあるもの。