映画「バスキア」
スタイルアイコンとしてお手本にしたい人は何人かいるが、その中の一人としてアンディ・ウォーホルが挙げられる。
ふと、ブレザーやタートルネックをどうやって着ればいいか分からなくなってウォーホルについてググるも満足できず、それならば映画も観ようと「バスキア」を観賞した。
この映画ではデヴィッド・ボウイがウォーホルを演じている。
観たいのはそこだけだったのに、冒頭でThe Poguesの「Fairytale of New York」が流れ、バスキアがお母さんに連れられて行った美術館でピカソのゲルニカを鑑賞するシーンが美しくてそこから最後まで観入ってしまった。
デヴィッド・ボウイ扮するウォーホルは、映画の中でタートルネックなのかモックネックなのかよく分からないが黒のそれらしきものを着用していた。
バスキアと一緒に絵を描くシーンでのパープルのシャツに合わせた着こなしや、バスキアが絵を描こうとしたレザージャケットに合わせた着こなしなどが観られる。
また、ウォーホルと言えばブレザーにスリムなジーンズという印象があったが、僕が見たかったそのスタイルは劇中にはあまり出てこなかった。
バスキアがウォーホルに絵を売る店に到着し、車から降りる時にそれらしきスタイルがみえるが全身が映るのは後ろ姿だけだ。
もしかしたら、「酸化アート」のシーンでの、ネルシャツのようなものにネクタイを横にずらして締め(これが最高にかっこいい!)ジーンズを着用しているスタイルの上にもブレザーを羽織ったりしたのかもしれない。
ウォーホルの着こなしは、アイテムだけを見れば地味で普通のものが多い。
それなのにあれほどクールなのは何故か。
グレイヘアのカツラとサングラスとスリムな体型が不可欠だよと言われればそれもそうだと思う。
しかし普通にみえるアイテムでも、例えばタートルネックにしても、恐ろしくタイトなものであったりタックインしていたり、なんとも言えない素敵な色を着ていたり、実はその着こなしは一筋縄ではいかない。
レザージャケットの下にダブルブレストを合わせている写真なんかもある。
そして、ウォーホルは選び抜いている。
あえて普通のものを選び抜いている。
そこには、アイデアやユーモアや、唯一無二の感性などと彼自身のライフスタイル、話し方や身のこなしまでが繋がった一本の線があって、誰がいつどう見ても、「アンディ・ウォーホル」だと認識されるスタイルが完成する。
ウォーホルの着こなしをお手本にしている人はたくさんいると思うが、その理由として、ウォーホル自身の魅力もさることながら、身につけているアイテムの一つ一つが、今でも洋服のスタンダードとして手にしやすい普遍性のあるものが多かったことも挙げられると思う。
しかし、ただ同じようなものを買ってきて着るだけではウォーホルにはなれず、ウォーホルになる意味もない。
明日からビタビタのタートルネックをタイトなジーンズにねじ込んで鏡を見ても、本当に今家の中に自分一人しか居なかったか、窓から誰かがこの失態を見ていなかったかを焦って確認する作業に追われるだけだ。
(もし見られていたら、「これはインナーですよ」と言わんばかりに上からパーカーをそそくさと着込むと良い。)
そんな行為も愛すべきものだと本当は思ってはいるが、僕が今すべきことは、まず適切なサイズのタートルネックを品よく着れる術を学び、その後で「なぜアンディ・ウォーホルはかっこいいのか」を考え続けることである。
それもまた無意味なのかもしれないが、楽しいことは間違いない。
少なくとも僕にとっては。
映画の話に戻るが、冒頭のゲルニカのシーンやバスキアとウォーホルが一緒に絵を描くシーンなど、印象に残っているシーンがいくつかある中で、最も観入ったのは、クリストファー・ウォーケンが演じる記者によるバスキアへのインタビューのシーンだ。
あのやり取りの緊張感。
映画「ディアハンター」の時にしても、一対一で対峙する演技をさせたらクリストファー・ウォーケンの右に出るものはいない。そう言いたくなるほどに素晴らしい演技だった。
今、何年も前に買ったThe Pogues のアルバム「If I should fall from Grace With God」を引っ張り出して聞いている。
その中の一曲、「Fairytale of New York」を聞きながらこの記事を締めくくろう。
外はもうすぐクリスマス。
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