アメリカンカルチャー探求の旅
これは、アメリカンカルチャーを探求する旅人である僕の旅の軌跡である。
数年前からゆったりと、少しずつ歩みを進めているこの旅は、ここ最近でまたある種の盛り上がりを見せてきた。先人が遺した偉大な文化遺産は今、2021年の僕の憂鬱に寄り添うそうに、しかし力強くその鼓動の脈を打ち始めた。探求者として、旅人としてまだ赤子のような僕が、いつまでこの旅を続けられるのかはわからない。大きく広げた風呂敷はどこまでも広がり続け、「飽き」という名の魔物の大きな口に取って代わられるまでは、せめてその力強さを保ったまま続いて欲しいと自分自身に願いながら、エッセイ形式でその探求の日々を綴っていこうと思う。更新頻度も回数も未定のまま、ゴールもないまま、第二回もあるかわからないまま、始めることに意義があると信じて。
もし僕と同じようなことに最近少し興味があり暇を持て余してこの記事に辿りついてしまった不運な幸運な天使であるあなたも君も、少しばかりお付き合い頂けるのなら、そんなに嬉しいことはありません。
それでは、旅のはじまりはじまり。
先日、京都にある誠光社という書店で、「猪熊弦一郎展 いのくまさんとニューヨーク散歩 “FEELIN'GROOVY!" 」と題されたタブロイド誌を購入した。
こちらは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で現在開催されている展示会に合わせて、編集者の岡本仁氏と、「アートの入り口」「芸術家たち」などの著者である河内タカ氏の両氏が執筆・編集したカタログ代わりのタブロイド誌だ。
正直なところ、僕は猪熊弦一郎という芸術家についてはほとんど知らない。
それなのになぜこのタブロイド誌を手に入れたかったのかというと、僕が知りたかったことがきっとそこには書いてあるに違いないと感じたからだ。
僕が知りたかったこと、それは、1950年代から1960年代のアメリカンカルチャー、特にニューヨーク界隈のアートや文学、音楽にまつわるカルチャーのうねりの正体だ。いつからかその時代のニューヨークに興味を惹かれ、少しずつ、本や音楽など、あらゆる素材から僕なりにそのうねりの正体を理解しようと、探求の旅が始まっていたのだ。
そして、今回は猪熊弦一郎という芸術家を通して、彼が1955年から1975年まで過ごしたニューヨークでの日々を覗くべく、このタブロイド誌を求めて京都にある誠光社へと向かった。
この誠光社という書店は、今までも何度か僕のアメリカンカルチャー探求の資料集め(大げさ)の為に訪れたことがある。とても小さな書店なのだけれど、選書が素晴らしく、僕の探求テーマ(大げさ)にはもってこいの本がたくさん置いてあるから、一人で京都に出かけるなら必ずと言って良いほど立ち寄る本屋さんだ。今まで誠光社で購入した“資料”は、「メカスの映画日記」、「吠える その他の詩 アレン・ギンズバーグ」、「ザ・フィフティーズ」など。もちろん、まだどれも全部は読めていない。もちろんだ。過程を楽しんでいるのだ。誠光社では様々なイベントも開催されており、今回の猪熊弦一郎展のタブロイド誌の執筆者の一人である河内タカ氏もトークイベントに幾度となく登壇されており、僕も過去に2度参加させて頂いた。ご本人もかつてニューヨークでアートを学び、活動されていたこともあって、著書の「アートの入り口 アメリカ編」や「芸術家たち2 ミッドセンチュリーの偉人 編」は、もう、“まさに”といった感じで僕の研究には欠かせないものになっている。ただやはり御多分に洩れず、全部はまだ読んでいない。気になった時に手に取ってパラパラと。それが僕の研究スタイルなのだから。
さて、そんな河内タカ氏とあの岡本仁氏が制作したタブロイド誌ともあれば、これを求めずして何がアメリカンカルチャーの探求者か。
しかし勇みすぎてひと足もふた足も早く目的地にたどり着いてしまった僕は、誠光社を通り過ぎて近くのコーヒーショップへ。
ここでアメリカンカルチャーの旅人である僕を歓迎するかのような出来事が起こるとは、その時の僕には知る由もなかった。
続く。
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