書く理由と、僕らがカフェに行く理由

幼い頃からの夢は画家だった。
抽象画ではなく、風景画が好きだったと思う。
ドラゴンボールと出逢ってからは、漫画家になろうとも思っていた。
毎日絵を描いてた。
テレビ番組を見るようになって、音楽を聴くようになった。
初めて買ったCDはZARDの「負けないで」だった。
小学校でみんなで歌う為に買った。
中学になって、スピッツが好きな友達にギターを教わり、父親が会社でもらってきてくれたストラトキャスターで「空も飛べるはず」を沢山練習した。
その後は部活動に明け暮れる毎日で、絵も音楽も自分の手からは離れていき、外から眺めるような距離感でそれらと付き合った。
大学に入って、沢山音楽を聴くようになった。60〜70年代ぐらいの海外の音楽を沢山好きになった。
お金を貯めてギブソンのエレキギターを買った。
バンドを組みたかったけどなかなか集まらず、ベースを演奏する友達と二人で、コピーやオリジナルをアパートの風呂場で録音したりして遊んだ。

その友人の影響もあって、大学3回生の時に休学して3ヶ月間、ニュージーランドへ留学した。
帰ってきて、周りのみんなは就職したりしてたけど、僕は社会に出て働く気にはなれず、カフェでアルバイトをなんとなく始めた。
特別、カフェが好きだったわけでもコーヒーが好きだったわけでもない。
ただ、そのカフェが定期的に音楽ライブをやってるという理由で、なんとなく面白そうだから、そこで働くことにした。

カフェが、コーヒーや食事を提供するだけでなく、音楽やインテリアやそこにいる人達など、空間に関わる全ての要素で訪れた人を迎え、時を過ごす場所として存在するのだということを学んだ。
その場所で僕は、コーヒーや食のことはもちろん、音楽やファッションや映画など、様々なカルチャーをシャワーのように浴びて過ごした。

絵を描くことやギターを演奏することは以前よりも減ったけど、誰かに何かを響かせる為に表現をする場所に、僕は身を置いていた。

留学から帰ってきたばかりのあの頃、会社員にはなりたくなかった僕は、そのカフェで正社員になってから今までずっと、転々としながら今も会社員として働いている。
先月、転職を機にまとまった休みが取れたので、東京に行った。
行きたかったお店に可能な限り訪れることができた。
コーヒーショップ、雑貨店、ワインスタンド、バーなど、いろんなジャンルのお店に行ったけど、その多くに共通していたのは、良い音楽がかかっていて、そこにいるスタッフが素敵だったこと。来ているお客さんもみんな幸せそうに過ごしているように見えた。
ほとんどが個人店で、そんなお店が点在することによって街が活気づいて見えたし、晴天に恵まれたことも相まって、「天国のようだ」と感じたことが一度ではなかったぐらい気持ちの良い時間を多く過ごせた。お店にいるときはもちろん、お店からお店に移動する街の中でも、そう感じた。

良いお店が、良い街をつくっている。
そう思っていたけど、改めて実感した。

絵を描くことや音楽を演奏するのと同じように、お店もまた、心を込めてつくった何かで人に響いて、残っていく、文化的行為なのかなと、そう思っていたけどこれまた改めて実感した。

文化とは、伝えられて残っていくものだと思う。
その為には、やり続けること。
東京で見た沢山の素敵なお店は、僕が訪れた日までも、その後もずっと、同じことを繰り返してやり続けているだろう。
僕もまた、そんな毎日の中に生きている一人の人間だ。
人から見たら取るに足らないようなささやかな喜びを、誰もが掬い取りたくて待ち望んでいる。
そんな言葉にできないような、でも誰かに伝えずにはいられない何かを外に出す為に、僕はこうして誰に読まれるかも知れない場所で誰が読みたいかもわからないことを書いているのかも知れない。
それもまた、絵を描くことや音楽を演奏することと同じように、ささやかな文化的行為になるんだという根拠なき確信と共に。

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