ニューヨークという街について

アンディ・ウォーホル、ジャック・ケルアック、ボブ・ディラン、ジャズの巨人たち、アメリカン・トラッドスタイル。

ぼくが興味を抱き、憧れたそれらに共通するもの、それは、ニューヨーク。

ニューヨークという街に憧れる。

世界には、魅力的で訪れてみたい国や街がたくさんある。

その中でもニューヨークという街には特別な何かを感じている。

それが何なのか、正体を知りたくて、それを探すための思考の始まりやらその経過を記事として残しておこうと思う。

本当はお金を貯めて休みをとって現地を訪れたいところだが、それが難しい世界になってしまったから、思考の中で旅をしてみる

さて、本題に入ろう。

ぼくが興味を持ったポップ・アートも文学も音楽もファッション・スタイルも、個々のルーツを辿っていけばニューヨーク生まれニューヨーク育ちといった完全オリジナルのものはそれほど多くはない。それぞれの分野の元を辿れば恐らくヨーロッパ諸国やアフリカに行き着くだろう。

もともとは、ぼくはそれぞれの分野に対し別のタイミング、別のきっかけで出会い、興味を持ったはずだった。そして、それぞれのキーパーソンが必ずと言って良いほどニューヨークを訪れたり活動の拠点とし、影響し合っていたことを知った。

さらに、その影響は当時だけに留まらず、そこで生まれたカルチャーやムーブメントが、今日のそれらに深く、大きく影響を与えるほどの価値を持った。

このように、ニューヨークという街の魅力は、それぞれのルーツが邂逅し混ざり合い、新しいカルチャーやムーヴメントとして爆発する、その「引力」と「エネルギー」にある。

そういった街、という意味では、ぼくにとっては世界中の中でもニューヨークは特別だ。

余談だが、昨日読んだジェームズ・W・ヤング著「アイデアのつくり方」という本の中には、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と書いてあった。

ニューヨークは、アイデアマンだ。

しかし、なぜ、ニューヨークなのか。

なぜみんなニューヨークに集まって、そこで、その後世界中に影響を与えるような大きく力強いカルチャーが誕生していったのか。

その問いが、稚拙であるかもしれないし既に答えの出ているものであるかもしれないが、そんなことは関係なく、その問いに対し自分なりに回答できるようになる日が来ることが、一つぼくの人生の楽しみとなっている。

とはいえ、ニューヨークという街が誕生して今日に至るまで、ずっとニューヨークがアイデアマンだったわけではないだろう。

冒頭に挙げた人物達やカルチャーの舞台は、その多くが1950年代前後となる。

ミッドセンチュリーの時代だ。

音楽や文学と共に、デザインや建築の分野でも、1950年代のアメリカ国内ではその後の世界に重大な影響を及ぼすムーブメントが起こっていた。

その背景には第二次世界大戦の終戦があり、時代背景を紐解いていくことは、ぼくの問いに回答を得るもっとも有効で不可欠な手段だろう。

でもゆっくりで良い。

エビデンスだけで語れたところで、ぼくにっとてはあまり価値がない。

なぜなら、それができる人はこの世にいくらでもいるから。

エビデンスを土台として、スタイルとして語れるようになって初めて、ぼくの言葉となる。

だからゆっくりで良い。

スタイルから入ったから、スタイルで決着をつける。

ミーハーに、魅力を感じるところだけ、選り好んで。

その過程が楽しいんじゃないか。

ニューヨークは真のアイデアマンだな。

スタイルがある。

本物(オリジナル)じゃない、正攻法(とされていたもの)じゃないものも多いかもしれないけど、独自の発展を遂げて何よりそれが多くの人に影響を与えた。

まるでウォーホルの活動そのものみたいに。

まるでケルアックの文章のように。

今日はここまで。








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