Mの虚像

お金持ちの父親と母親が離婚して、彼女は安い公団に引っ越した。

その近くに「あじさいロード」があった。

彼女は、両親が離婚してしばらくは新しくなった苗字を教えてくれなかった。小さくなってしまった家に案内してくれることもなかった。

ある日、「今日親が居ないからくる?」と誘われた。紅潮する白い頬を見て、それと知った。

お互いに学校が休みの日。私服で待ち合わせた僕らは近くのコンビニで酒とコンドームとお菓子を少々買って、2人で袋を持ちながら彼女の家に向かった。

彼女は流行りのバーバリーのマフラーをぐるぐる巻きにして、コートを着ていた。季節外れの
「あじさいロード」の看板の前を2人で歩く。

「これ持って!」彼女は走り出すと、少し跳ねながら「はやく!」と囃し立てた。

急な坂を越えると、クリーム色の安い団体が見えてきた。「みっともないでしょう」という彼女に僕は「そんなことないよ」と笑いかけた。

部屋に入り、すりガラスの扉を開けると、飯場が覗く。奥にはキッチン。棚にあるカゴにはインスタントコーヒーの袋。襖を挟んで、和室がある。お世辞にも立派と言えない部屋の中で彼女は少しうつむき気味に笑った。そして「お風呂に入ろうか」と言った。

狭い風呂。銀色の浴槽が風呂場の半分を占拠していた。彼女は髪を少し結ぶとシャツを脱いだ。薄いピンク色の下着の上下を外すと、まだ若い真っ白な肌が露わになった。

風呂を手短に済ませると、彼女の部屋に入った。あまりに殺風景な部屋。布団を一枚敷くと僕らは一つになった。

カーテンを閉め忘れていた。僕の上にで、優しく笑う彼女の背中に真っ白な大きな月が照らす。肩越しに柔らかな光に包まれると白い肌が照らされた。「綺麗だなぁ」と言葉にしないまま抱きしめて、僕は彼女の中で果てた。

別れはあっさりで、大人になってからSNSで連絡が来た。彼女も結婚を間近に控えているという。

「会おうか」という彼女。僕はその連絡を見ないふりをした。彼女もそれ以上連絡してこなかった。

故郷を離れた僕は、ふと空を見上げた。月は出ていない。

その夜、夢を見た。朝、1人で帰る僕はあじさいロードに向かう坂の手前。振り返り、部屋の窓を見ると笑いながらこっちを彼女が見ていた。「気をつけて帰ってね!」彼女が言うと僕は手を振って、イヤフォンを耳に刺して帰った。

さようなら、幸せでいてね。ただ、君を思う夜も月は見えない。

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