胸焼けとさようなら。1年越しに4日目
久しぶりの更新だ。noteの存在すら忘れていたので無理もない。もう、誰もこのブログすら見ていないだろう。
僕はまだ、岐阜市に住んでいる。この街のことが好きになってきて久しい。そのことについては後日語ることとしよう。
僕は社会人1年目を名古屋で過ごした。
名古屋は良い街だ。都会で、華やかで、それでいて少し身を隠す場所もある。大須という街があるのだが、夜になるとがらんどうになる。その街を酔った頭で散歩することが僕の日課だった。
その時の友人でC君という友人がいる。
彼は悪いやつだ。僕よりもずっとお金を稼いでいて、知名度もかなりあった。けれども、中々気の良いやつで、僕はC君といつも一緒に遊んでいた。
ある時、僕は彼に言った。「やっぱり男なら東京で勝負したいよな」と。不用意な言葉だった。何せC君の勤め先は名古屋にしか会社を持っていなかった。けれども彼はすぐ「そうだなぁ」と言って、持っていた酒をぐいと飲み干した。
初めてボーナスが出た日、僕は嬉しくなってC君と食事に行った。C君は「この前先輩に連れて行ってもらったしゃぶしゃぶが美味かった」などと言って僕を連れて行った。一人1万5000円もするところだったが、何せ初めてボーナスというものを貰ったのですぐさま入った。食べた肉はいたく上等なものだったので、胸焼けが酷かった。「C君、もう食えないな。飲みに行こうよ」。制限時間まであと1時間半以上あるのに、僕がそう持ちかけるとC君は「そうだな!」と叫んで、僕らは店を駆け足で出た。
地下にあったその店から出ると、名古屋・栄は年末の騒がしさだった。財布にはたくさんの紙幣を詰め込んで遊びに出かけてるものだから、なんだか嬉しくなって2人で大笑いした。僕が「俺はこの街で一番になってみせるぞ!」と叫ぶと、彼は「俺が一番になる!」と負けじと声を張り上げた。それで、2人で大笑いした。
僕が岐阜に行く時、彼は泣いていた。僕は少し困ってそれを窘めた。すると彼は「俺もお前と勝負がしたかったよ」といって、持っていた酒を一息で飲んだ。僕が彼にあったのはそれが最後だった。
先日、彼から電話があった。「転職した。東京に決まった」とC君は言った。どうやら、僕と同業になったらしい。僕は岐阜市のマンションの中で彼からの電話を取った。
なにやら、少し寂しい気持ちになって「そっか」と言葉をひねり出すのが精一杯だった。彼もそれを察したようで「東京で待ってるな」と一言いって電話を切った。
僕はまだ岐阜にいる。社会人として3年目になった。街の動きは早くて、僕とC君がよく行っていた飲み屋は潰れたらしい。
何年後、僕は彼に会えるのだろうか。その時に、彼は僕のことを覚えていてくれるだろうか。
きっと、忘れていると思う。でも、それでいい。2人で大笑いした名古屋の夜を僕はずっと忘れないだろうから。
岐阜は飛騨牛がおいしいんだ。でも、食べると胸焼けする。それはあの頃と変わらない。
あの頃に戻りたいかって?冗談じゃない、まっぴらだ。もう少しまともな生活をしておけばよかったと心から思う。あの時の散財が無ければ僕は今頃、高級車のオーナーだ。
でも、少し思い出した。胸焼けしたあの日、僕は大須を歩きながら一人で笑ってた。楽しかった夜、いつも帰り道は最高だった。
C君、お元気で。
あの時はありがとう。今でも胸焼けすると思い出す、2年前の年末。高らかな笑い声、街の喧騒、最強の2人。さようなら。
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