ウイルスのように私たちの気持ちを増殖させる
新種のウイルスの出現によって多くの人の生活が変わった。テレワークを導入して仕事の仕方をガラッと変えたり、オンライン飲み会で友人との親交を深めようとしたり、ビールサーバーやヨガマットでおうち時間を充実させようとしている人もいる。この変化を良いと捉える人もいるだろうし、何かシックリこないと気持ち悪がる人もいるだろう。いずれにしても私たちは行動変容を起こされ、これまでの生活を変えられてしまった。
私はというと、ビジネスで思い通りにいかないこともあったが、総じてこの変化を比較的ポジティブに捉えることができていると思う。後述する複数の友人が抱えた精神面の変化から、「比較的」と表現した。
私には2歳になる息子がいる。待機児童の問題もクリアし、仕事の時間は息子を保育園に預けることができている。そのおかげで子どもの奇声がオンライン会議に入ってしまうこともないし、集中して物事を考えたいときにボール遊びという名の、永遠に続くボール拾いをしなくて済み、快適なテレワークを行えている。また、嫁が料理上手で健康志向が高いこと、高カロリーなものをたくさん食す飲み会の回数が減ったこと、週に数回ランニングをしていることから、そこまで努力や我慢をすることなく、みるみるうちに健康的な身体を手に入れていった。そうして遊び程度でやっていたフットサルに少しずつ熱が入るようになった。
人間関係はというと、大学時代のサークルやアルバイト先、留学先で知り合った友人との繋がりが私にはある。これまでは彼らと飲み会をしたり、フットサルをしたりしていたが、それがガラッと変わって彼らと会うことがなくなった。しかし、私たちにはSNSがあり、いつでも繋がっている感覚がどこかあった。時にLINEをし、時にオンライン飲み会をし、会っていないけれど今までと何ら変わらない会話がそこにあった。だから私は幻想を見ていたのかもしれない。
けれどもオンラインでは繋がりきれないことを知った。知らぬ間に友人の2人が軽い鬱状態になり、さらに音信不通になってしまった友人もいた。「外出自粛によって人との関わりが極端に減り、自己肯定感が削がれてしまったことが原因である」と、その2人は教えてくれた。
どれだけテクノロジーが発展しても、やはり「会う」ことは大事であった。むしろ新たな問題として、テクノロジーの発展が、このような錯覚をより起こりやすくさせ、知らず知らずのうちに問題が深くなっている可能性もあるかもしれない。そして昨今、メタバースがバズワードになっているが、仮想空間上でのコミュニケーションが当たり前になったとき、それに適用できず、同じような問題が生じてしまう人がいるかもしれない。
そんなちょっとした問題意識から、私の趣味でもあるフットサルを行う集まりを月に数回程企画するようになった。ふと皆に会いたいなとか、リフレッシュしたいなと思ったときに誰でも参加できる場にしたいと思っている。徐々に輪が広がり、フットサル後の飲み会も行われるようになった。
この取り組みの中で様々な人に会った。代表を務める会社がうまくいかなくなった人、彼女と別れてしまった人、急激な体形の変化に苦しめられている人、等々。人は大小問わず何等かの悩みや問題を抱えていることを再認識した。
ウイルスが人間の物理的な交流を少なくし、そのことで顕在化した問題が今はある。自然災害、経済停滞、家族関係の悪化、新たな感染症の発生、等々が関係した、多種多様な問題が我々の生活に潜在しているだろう。
その問題が勃発したときに解決する、もしくは回避するために、手触り感がある繋がりが必要であると私は考える。テクノロジーが発展しても、確かな繋がりのもの。それが今すぐ問題を解決するものにはならないかもしれない。しかし、その繋がりから何かのアイディアを得られたり、一緒に解決したり、繋がりそれ自体が病んだ心を癒すこともあるかもしれない。
学生時代に憧れたスティーブ・ジョブズやイーロンマスクのように、革新的なビジネスで世界を変えることは私にはできない。しかし、ちょっとした問題意識から行動を起こし、フットサルや飲み会を定期的に開催される仕組みを作ることはできた。それを通じて、目の前の人を何らかの形で癒すことが私にはできるかもしれない。私の気持ちが誰かを変え、その誰かがまた行動を起こしてくれるような、そんな気持ちの伝染が起これば素敵だなと思う。
そんな当たり前だけど、忘れがちなことを経験した2021年であった。