直木賞作家のベストセラー小説『しゃぼん玉』の映画をみて

〜安井コラム#48〜
どうも。酒と女とタバコがかなり好きと思われている安井です。

今日はちょっとテイストを変えて、昭和男子が最近観た映画から感じたことの話。
昭和男子が最近観た映画から感じたことの話。

直木賞作家・乃南アサのベストセラー小説 『しゃぼん玉』
http://www.shabondama.jp/

単にあらすじを言うと、
強盗や窃盗を繰り返すどーしようもない若者(林遣都)が、逃亡中のある田舎の街で、身内でもないおばあちゃん(市原悦子)らと生活し、人の温もりさを感じながら、どーしようない若者の心情の変化を映し出した映画。

(Amazon Primeで観れるよ~)

この映画を観て感じたこと。

人に必要とされる場所に行こう

仕事や生活する場所を自由に選択できる時代に、自分が見えている範囲だけで決めてしまっている人が多いのではないか。
例えば、本当に学びたいことがあるわけではないが、なんとなく大学に入り、卒業後、とりあえず学んだこと関連で会社に入社。などなど。

特に東京とか人が集まる場所に言えることかもしれないが、
人から必要とされる人は、人よりも優れている必要があり(能力面だけでなく、内面も)、
なり行きで生きてきた人は、きっと必要とされていないと思う。
『いや、今俺ちゃんと仕事あるし』と思ったキミ。明日から1週間休まないといけないとなった時、代わりにキミの仕事ができる人はいるだろうか。もしYESなら、仕事においては必要とされていない人になる。
それは、人が集まる場所では、代わりの人がいくらでもいるからだ。今の時代、外国人もその代わりになるし、機械もその代わりになり得る。

その結果、人に必要とされていないとしっかりと感じてしまった瞬間、だんだんと思いつめてしまい、
世の中にとってプラスのことをすることができず、それに加えて人を傷つけるマイナスのことをしてしまうことがある。

そうならず、人が人らしく、正常に生きるには、人から常に頼られる存在にならないといけない。

この問いかけでどこで必要とされるかを判断するのはどうだろうか。

『いま周囲を見渡し、キミを必要としてくれる人はいるだろうか』

もし答えがYESならば、そこがキミの生きる場所だと思う。

もし答えがNOならば、今まで何十年と生きてきて、人に感謝されたことを振り返り、生きる場所を探すのが良いかもしれない。
例えば、街を歩いていて、高齢者の重たそうな荷物(全然重くない確率が多い)を持ってあげたり、電車の席を譲って感謝されたり。
そんな立派な人には、介護の仕事だったり、福祉関連の仕事で、人から必要とされるかもしれない。

自分の生きる糧を、このように考えるとラクに人として生きることができるだろう。

幸せの源を他人する

こんな感じのことを『しゃぼん玉』という映画から感じました。


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