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次の自分の居場所になるか?noteの本格利用を考える(前編)

1. はじめに

SNSとの付き合いも18年が過ぎた。2006年に職業訓練校で就職のスキルを身につけようと奮闘していた私がmixi利用を始めてから、プラットフォームの変遷と共に歩んできた。2009年にはTwitter(現在のX)を始め、2018年までは両プラットフォームを並行して利用していた。その後、当時ユーザー数が最も多かったTwitterに活動を集約する選択をした。

しかし、Twitter開始から15年という時を経て、かつての面影は失われつつある。社名変更に伴う使い勝手の悪化、そしてなにより、プラットフォーム全体の質の低下により、新たな活動の場を模索せざるを得なくなった。その選択肢として、noteという新たなプラットフォームに目を向けている。

2. SNSプラットフォームの変化がもたらした弊害

ユーザー数の爆発的増加がもたらした課題

SNSの普及に伴い、プラットフォームは大きく変容してきた。最も顕著な変化は、ユーザー数の増加に伴う情報の質の低下だ。特に、重大な災害や危機的状況において、この問題は深刻さを増した。

東日本大震災や新型コロナウイルスのパンデミック時には、デマや誤情報が爆発的に拡散。真偽の確認に膨大な時間と労力を費やすことを強いられた。本来、情報共有プラットフォームとして機能すべきSNSが、むしろ混乱を助長する存在となってしまった。

プラットフォーム運営方針の転換による影響

近年、特にXにおける運営方針の変更は、ユーザー体験を大きく損なうものとなった。特に大きな転換点となったのは、閲覧数連動の収益システム導入だ。この変更により、いわゆる「インプレゾンビ」が大量発生。意味のない投稿や、クリックベイト的な内容が増加し、本当に必要な情報や返信が埋もれてしまう事態が常態化した。

私自身、プラットフォームでの収益化を目指していたわけではない。むしろ、趣味や仕事に関連する情報交換や、有意義なコミュニケーションの場としての活用を重視していた。しかし、この方針転換により、そうした本来の目的が著しく損なわれることとなった。

コミュニティの質的変容

かつてのSNSには、共通の興味や目的を持つユーザー同士が深い議論を交わし、互いに学び合える場としての側面があった。しかし、現在では数値化された「実績」や「インプレッション」が重視され、真摯な対話や情報交換よりも、目立つことや話題性が優先される風潮が強まっている。

このような変化は、SNSの本質的な価値を大きく損ねるものだ。そして、この状況が、私が新たな活動の場を探す直接的なきっかけとなった。

3. なぜnoteなのか

noteとの出会い

私がnoteに会員登録したのは2022年初頭のことだ。当時はTwitterでは収まりきらない長文を書く場所として考えていたものの、実際には活用する機会がないまま時が過ぎていった。本格的な利用のきっかけとなったのは、就労支援施設での作業及び趣味としてのAIイラスト制作に関するガイドラインを作成する必要に迫られた時だった。

統合されたプラットフォームとしての魅力

noteの機能を詳しく探ってみて気づいたのは、私がこれまで経験してきた様々なSNSの良い部分が一つのプラットフォームに統合されているという点だ。mixiの日記のような詳細な記述、Twitterライクな手軽な投稿、画像の添付機能など、情報発信に必要な要素が過不足なく揃っている。

しかも、これらの機能は単なる寄せ集めではなく、長文プラットフォームとしての一貫性を保ちながら実装されている。この点は、私が求めていた「きちんと書く場所」という要件に完全に合致している。

情報の質を担保する「ハードル」の存在

noteの特徴的な点として、投稿に一定の「ハードル」が存在することが挙げられる。長文での表現が基本となるため、安易な投稿や無責任な情報拡散が自然と抑制される。結果として、プラットフォーム全体の情報の質が保たれやすい環境が実現されている。

実際、noteを探索してみると、投稿数こそ他のSNSと比べて少ないものの、必要な情報が明確に整理され、確かな情報源として機能していることが分かった。この「量より質」という特性は、現在のSNS環境への不満を解消してくれる可能性を感じさせる。

将来を見据えた機能の充実

noteのもう一つの魅力は、将来的な可能性を感じさせる機能の充実度だ。例えば、記事の有料化やチップ機能など、クリエイターの収益化をサポートする仕組みが整っている。現時点で収益化を目指しているわけではないが、活動の深化に応じて選択肢が広がることは、プラットフォームとしての持続可能性を示唆している。

コミュニティの質

何より注目したいのは、noteのコミュニティの特質だ。長文での表現という特性上、投稿者は自身の考えや経験を丁寧に言語化することを求められる。同時に、読者も腰を据えて内容と向き合う必要がある。この「双方向の真摯さ」は、かつてのSNSが持っていた「学び合いの場」としての性質を彷彿とさせる。

前章で触れた現在のSNSの課題—情報の氾濫、質の低下、収益至上主義—に対して、noteは一つの解答を示しているように思える。それは「書くことと読むことへの敬意」という、デジタルプラットフォームが忘れかけていた価値の再発見だ。

(後編に続く)

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