お酒の物語 お雇いフランス人達の置き土産
明治維新における日本の先端技術の導入を支えたお雇い外国人といえば、その主体はイギリス人。一方で、帝政ロシアのお雇い外国人といえばフランス人。そんなお雇いフランス人たちの置き土産とは?
18~19世紀の帝政ロシアは西欧諸国に比べて後進国であり、その近代化のためにお雇い外国人の助けを必要としていた。この時のロシアは黒海周辺地域をオスマントルコから奪って領土を大幅に拡大したものの、その近代化も外国人技師の助けを必要とした。
ロシアの近代化を支えたお雇い外国人の多くは、当時の友好国であったフランス人で、彼らが近代化していった都市のいくつかには、なぜかブランデーの蒸留所が建てられていた。その中でもアルメニアのアララトとノイ、ウクライナのシュストフの3蒸留所は今なお健在で、実際に訪問して試飲してみたところ、その味は本場フランスにも見劣りしない味でした。
イギリス人が近代化を支えた日本ではウイスキーが花開き、フランス人が近代化を支えた旧帝政ロシア領ではブランデーが花開いたと考えると面白いなと。
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