僕が先生になった理由
担当した生徒からよく聞かれる質問があります。
「なんで土器手先生は先生になったんですか?」
この質問があると、生徒たちは話をやめて、僕をまっすぐ見て話を待ちます。
そしてこの話は、僕が教育をしていく上で、自分自身が忘れてはならない信念だと思っています。
きっかけはニュース
私の父は教員です。そして私の母は超絶スパルタ教育熱心です。両親の影響も少なからずあります。ただ、私は中学校2年生頃まではバスケットボール選手が夢でした。
きっかけは夕食時のニュースでした。いつも通り、犯罪者や汚職事件などのニュースをアナウンサーが読み上げていました。
そんな中、母が一言
「親は何をしてるんだろうか」
私はご飯を食べながらそのことについて考えていました。
「悪いことをする人」は悪いこととわかっていてもする。もしくは、悪いことだとは思っていないのかもしれない。
なぜ、悪いことをするのか。
本当に悪いのは、その「悪いことをした人」に関わってきた人たちではないのか。
「困った子は困っている子」という言葉を大学で学びました。まさにそのように、悪いことをするようになった原因が、そこまでの人生であったのではないか。
そう考えると、「悪者」の見方が変わりました。テロ組織は人を殺すことが正義と教えられた。漫画の敵キャラは人に踏みにじられ、人への復讐が目的になった。
教育の目的は人格の完成。悪いことを防ぐには、ふさわしい人格に導かねばならない。
教育こそが世の中の最適な解決策ではないか。そう考えてからは教員という仕事が憧れになりました。
教員という仕事
教員は教育を担う1人に過ぎませんが、その中核を担っていると思います。
子どもたちはまさに無限大の可能性を持っています。将来どんな人にもなることができ、どんな仕事にでも就くことができ、世の中にどんな影響を与えるかは今の時点では想定できません。
そしてどの子どもも学校を一度は通ります。今の大人は学校での影響を必ず受けて、今の人間になっていると思います。
そう考えると、教員という仕事は世の中の隅々までつながる、究極の仕事だと思います。
そして同時に、とても大きな責任を背負っていることに気づきます。
まだ、自分には教員は早かったと思うことも何回かありました。ただ、若いからこそ教えられることがあるということで頑張っています。
ここまで話すと何人かの生徒はドン引きしています。素敵な話ができず申し訳ない…
(note を書いてよかったこと)
前回noteを書いてよかったことが大きく2つあります。
インプットが増えた
前回記事を読んでくれた知人から、何人か連絡が来ました。その人のお勧めの勉強や、悩み、近況など、いろんなことを知ることができました。
これだけでもnoteを書いてよかったと心から思いました。
自分の内面が整理できる
これも私にとってはとても大きいです。ここまで教育について思っていることを文字にすることはなかったですし、自分でも気づかなかったことを気づけるようになりました。
なんでもとりあえずやってみるもんだと思いました。