White note〜最高の笑われ方〜
はじめに
初めまして!僕は坂口靖彦というただの男です。今日は皆さんに一つ質問をさせてください。
皆さんはたまに人生を思い返すことはありますか?僕は今回、初めてこんなにも振り返ってみました。すると昔好きだったこと、昔の感情、いろんなことを思い出しました。なんか今回、僕は自分の人生を振り返ってみて『僕は20代の頃ちゃんと走ってこれとのかな?』という疑問を抱きました。10代の頃は学校や親がある程度走らせてくれますが、20代になるとある程度の自分の人生の決定権の選択肢を委ねてもらいます。いわば20代になると急に騎手がいない状態で人生のレースを走ることになるのです。『自分の人生だから』は時に言い訳にも変化してくれます。
僕の20代はもっと走れたなぁぁとちょっぴり寂しくもあり、『今を大事にしょう』というきっかけを与えてくれました。
なぜそんなことをしたのか?というと今年はテレビをつけるとどうしてもネガティヴになりやすいニュースが多かったと思います。『コロナ』『人との距離を取りましょう』『本日の感染者は〇〇人です』別にそんな世の中になってしまったことは仕方なく、ただそんな中でも忘れてはならないのは『僕らはいつか消えてしまう』ということです。その事実だけはコロナが来る前から変わりません。こんな世の中だから僕は僕のLOVEを書きました。
僕は基本的に大人が嫌いだったし、今、人生を振り返っても『もっと器用に生きればいいのに』と自分でも思いますが、いつも壁を正面からぶち壊しにかかり、その結果嫌われ、白い目で見られ、『くそ!』と自暴自棄になった頃にスーパー優しい人達に救われる。そんな一人では何もできない人生だった。そんなたくさんの人に救ってもらった人生だからこそ『誰かにとっての何者かになりたい。』と思いを込めて書きました。読んでいただけると幸いです。
#映画えんとつ町のプペル 楽しみ
夢中になった幼少期
僕には大きな夢があった。それは甲子園という大舞台で野球をすることだ。7歳上の兄が影響して野球を始めた僕はただただ野球が楽しかった。
そんな幼少期に、この夢を与えてくれたのは当時見ていた夏の甲子園で騒がれていた一人のピッチャーだった。そのピッチャーには華があり高校生のレベルじゃない。相手に絶望感すら与える。そうその高校生とはその後プロへ行き、世界大会でも活躍し、メジャーリーグでも活躍することとなる松坂大輔投手だ。
僕は当然のように彼のフォームを真似た。そして仕草もだ。そして僕は少年野球の中心になった。しかしその頃の僕は野球の楽しさを奪われ出していた。なぜなら僕の少年野球のチームのコーチは父兄の方が多く、もちろんえこひいきや僕の存在が面白くない大人はたくさんいたし親同士の仲の良さなどがモロに影響する。今ならしょうがないことだとわかることだが当時の僕はそれが納得いかなかった。
小学6年生で僕の身長は180センチあり、周りの大人からしてみると僕に小学生ならではの可愛げを感じている大人はいなかったと思う。次第に僕は野球と向き合うよりもそんな大人と向き合うことの方が多かった。時代的にスポ根の最後の世代なのでひどい時はボールを投げつけられたりもした。
そんな僕も小、中学を経ていよいよ高校生になった。ずっと夢見ていた甲子園にチャレンジ出来る年齢になったのだ。しかしここでも大きな問題が僕を悩ませる。それは僕の両親は小学生の頃に離婚している。そして僕は母親についたんだが、その頃の母は月から金は朝から晩まで仕事。そして土日は野球の応援と送り迎えをしてくれていた。その結果。。。母は何度か倒れた。僕のために母は一生懸命働いてくれている。そして、何より野球はめちゃくちゃお金がかかる。ユニホームや道具は一度買ってもすぐに壊れたりするし、月謝も高い。僕は自分の大切な夢と大好きな母にこれ以上辛い思いをさせてもいいのだろうか?という気持ちで胸が締め付けられていた。
『人生に詰んだ!!!』
大体の部活動には仮入部という制度がある。まぁ簡単に言うとお試し期間だ。そこでとりあえずやってみて続けるか決めるのだ。
僕は身長もデカく中学生の頃から目立ってはいたので、他の中学の友達から『野球しないの?』とたくさん声をかけてもらった。しかし僕は『まだ考えてる』という答えしか出すことが出来なかった。
僕は家でもずっと高校の入学式でもらえるパンフレットを見ていた。というよりも野球部の紹介の所だけをずっと眺めてた。『やりたい!』と『やっていいのか?』を毎日葛藤する日々だった。母にお願いする事すらわがままな気がしていた。
そんなある日母が僕に聞いてきた。『あんた野球しないの?』僕は『悩んでる』と答えると母は『なんで?』と聞いてきた。僕は瞬時に素直に答えるべきか自分で答えを出すべきか悩んだ。なぜかと言うと素直に言うと母に悪い気がしたのだ。すると母が僕の気持ちをわかっているかのように言った。
『あんた。野球やりたいんでしょ?お母さんあと3年間頑張るからいいよ。やっても。』僕は涙が出た。同時に感謝で『ありがとう』と土下座をしていた。
僕は次の日早速野球部の練習に行くことに決めた。
ワクワクが止まらない高校1年の春
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