SMプレイはプロレスである。
おはようございます。
パンツ⤵︎(ズボン)パンツ⤴︎(下着)が何でそんなに『めんどくさい上に分かりにくいんだ!』と納得がいっていない片足おじさんの坂口です。
さて、
今日は『SMプレイはプロレスである。』についてお話ししようと思います。
よろしくお願いします。
『プロレスはプロのアートだ』
最初に謝っておきたいのは、今日は『SMって最高だよね』みたいな記事でも、『プロレス最高!!!』みたいなむちゃくちゃターゲットをしぼりまくった専門的な記事ではありません。
あくまでも、『老若男女楽しめる。』がテーマでブログを書いていますので、よろしくお願いいたします。
僕は幼少期からテレビというものに育っててもらっていて、本当に親には『あんた、それくらい勉強したら?』と言われるくらいにバライティーの虜だったんです。
そんな中で、僕のイメージとしてあったのは、
『面白いコンテンツほど、教育委員会に目をつけられる。』でした。
学校で、『あの番組は教育上あまりよくないから見るな。』みたいなお知らせがたまにあったことを僕は覚えています。
ただ、
僕がこの時代に思うのは『教育ってそれをどうするかじゃない?』って思ったんです。
もう少し具体的な話をするなら、
『あの番組は子供に見せたくないから消してしまおう。』という発想自体が一番教育に悪くね?ということなんです。
やっていることは汚職議員やあいつが嫌いだからという理由でいじめをする子とそんなに大差ないと思ってしまいます。
結局はいつまで行っても『教育』
結局、いつまで行っても僕たちは『教育』によって構成されます。
僕たちの上にいるボスやよく会う友達、家族の影響は受け、
『よく会う人5人の平均が自分。』という言葉が気持ちがいいですよね。
では、
プロレスを見て『危ない』とか『子供が真似するだろ』とか思う人も多くいるのかもしれませんが、それは否めないです。
しかし、
本当に長い人生で学ばないといけないのは、『自分で選択すること』だと思うんですね。
もっというと『自分の人生に責任を持つ。』ことだと思っています。
プロレスを排除することよりも、プロレスとの向き合い方を教えてあげるのが『教育』だと思っています。
これは冒頭でお話ししたバライティーも同じことです。
僕たちは中学生の時に、トゥナイト2という大人のちょっぴりエロティックな番組が流行った時に友達同士で集まって、
『どうやったら家族にバレずに見るか?』
という議題でいつも会議をしたいました。わら
でも、
『この目的のためにどうしよう?』と考えることは、
現代においても本当に大事な気がするんです。
『正解は自分の心にしかない』
時代によって変わるもの、これは『生活』です。
歩いた時代があって、乗り物(車、バイク、電車)が生まれ、圧倒的に
交通事故のリスクが増えたとしても、人はその生活をなかなか捨てることはできません。
『今、思えば大変だよなぁ』と思うことを昔はやっていたんです。
そして、
情報と言うものが溢れている今に、
僕たちが向き合わなければいけない問題は『何を信じればいいの?』問題だと思います。
最近だと、コロナワクチンなんかが一番分かりやすいと思います。
『打つ』『打たない』これによって色々見える景色はあると思いますが、
ちゃんと両方の情報を調べた上で自分で決める。
このマインドがないと僕が見た『排除』になってしまうと本当に見なきゃいけないものが見れなくなってしまうと思います。
それでは、坂口靖彦でした。
バイちゃ〜