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迂回することと迷うことー不便益をそえてー

昨日、知人の代わりにKyoto experimentで、川上浩司先生のトークイベント「えーっとトーク③不便益とは?」に参加してきた。
 以前から、『京大変人講座』や日立京大ラボの『BEYOND SMART LIFE』などの著書から川上先生の「不便益論」は、注目していた(まだ単著は拝読していないのでこれから開拓していきたい)。
 今回は、今回の講演を聞いて最近のインプットを踏まえながら、私なりの不便益の解釈を殴り書きたい。

不便益とは迂回すること??

 最近読んだ著書の中で、早稲田大学の都市計画系の研究者である吉江俊さんの『〈迂回する経済〉の都市論』がある。本の中では、床面積あたりの収益で個別別個のプロジェクトが行われている状態を経済効率主義で最適かつ、最高利益を求める経済として「直進する経済」と称した。一方で、直進する経済と並列し、開発対象となる「地」の部分への投資を行い、直進するよりも時間と労力が増し、目的への道のりが複雑だとしてもより増大な利益をもたらす「迂回する経済」が必要となると語った。

〈直進する経済〉と〈迂回する経済〉の都市開発の違い(『〈迂回する経済〉の都市論』より引用)

 川上先生の話を聞く中で、「迂回」とは「直進する経済」で抜け落ちた不便益さを再享受するための経済のあり方なのではないかと思った。直進する経済を重視する人にとっては、迂回する経済は、道草を食うばかりの蛇足なものが多い経済だと感じる人が多いかもしれない。しかし、その蛇足にこそ得られる益もあるのではないか。ある町について知りたい時、私もその町の歴史や風土、伝統文化などを直線的に調べる以外にも、遠く離れた似た風土や伝統を持つ町を調べたり、自分の町をより深く調べてみたり、町を知る手法について勉強したり、対象地にリサーチを限定しないことがある。
 これは、直接的に対象地を調べるのではない方法から遠回りをすると、今までになかった視点から深く対象地を知ることができるかもしれないと考えるからだ。
 このような目的に直進することと比較して、目的に迂回して到達することで益を獲得する、これは不便益論の中で語れるのではないかと考えた。

目的に達するからこそ「迂回」。迷うことはできるのか。

 その後、「迂回は、不便益のテーマになるのか?」という問いをトークセッションの後に川上さんにぶつけてみた。すると、「迂回は、不便益のテーマにはなる。しかし、それだけではないかも。」とのこと。そこで対話を重ねることで見えてきたことが一つあった。それは、迂回するとは、「目的・ゴールに辿り着くことが意味に内在されている」ということだ。先ほどの図でも迂回する経済は、最終的に企業の利益という目的に達するようになっている。迂回には、代表的な慣用句「急がば回れ」がある。これは、滋賀県草津市にある「瀬田の唐橋」に関して読まれた歌で、滋賀から京都に向かう際に、草津の矢橋から大津まで船で渡る方が早いが、比叡山から吹き下ろす強風で危険だったため、瀬田の唐橋を渡った方が安全だという意味で読まれた。ここでも、「京都に達する」という目的が内在している。

「急がば回れ」の陸路と水路(参考文献2より引用)

 では、川上先生が「それだけではない」となったのはどのような点なのか。私なりに仮説を1つ建ててみた。それは、目的に達せずとも「迷う」中で益を得るということだ。例えば、ブレーメンの音楽隊が良い事例になる。ブレーメンの音楽隊は、主人からこきを使われた年老いたロバがブレーメンにある音楽隊に入るために旅をする話だ。しかし、ロバや途中仲間になる動物たちは、最終的にブレーメンに着いてもいないし、音楽隊にすら入っていない。道中で泥棒をやっつけ、彼らが占拠していた家に住み幸せに暮らす場面で話は終わる。これは、目的に達してはいないが、その途中で益を獲得するという話であり、迂回するとは少し違う。 旅行中に本来行こうとしていたところに着く途中で、カフェに寄ったらそこのスタッフと仲良くなり、1日話しに熱中してしまった。図書館でお目当ての本を探していたら、同じ本を目当てにしていた女の子と手が触れ合って恋が始まる。このような事例が「迷うことからの益」に当てはまるかもしれない。 

結びに代えて

 今回は、「目的へ直進する」ことと比較し、不便だと考えられる「迂回」と「迷う」を不便益論のインプットを重ねて整理してみた。しかし、今回不便益論と結びつけることができたかでいうと、正直できていない。また、僕自身も直進するよりも「迂回する」ような学び方、生活の仕方をしている気がするが、「迷う」に対しては、少し恐怖心がある。しかし、それがなぜだかはまだ整理できていない。 
 だから、これからもより一層遠回りをして道草を食べ、時には迷宮に自ら入りながら、私なりの不便益論を形作っていきたい。

P.S. 
そもそも都市計画や都市デザインを専攻している中で、不便益論のトークセッションを聴きに行くのは、だいぶん迂回しているか、迷っているなとつくづく思う。しかし、これが私の学び方であり、私にとって心地が良い。

参考文献

  1. 吉江俊, 『〈迂回する経済〉の都市論』, 学芸出版社, 2024

  2. 原田朱美, 「「急がば回れ」は本当か?五限の舞台・琵琶湖で実験してみた」, Withnews, 2016(最終閲覧日: 2024年10月20日)


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