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建築設備用CAD2.5次元初体験その2


面接の結果

日本橋室町近くの会社での面接は無事に終わり、あとは結果の知らせを待つばかりの日々です。このお話は私が20代前半ころの話で、昭和から平成のはじめ頃のお話です。記憶が曖昧なところがあったり、この時代にそんなことないよ、時代考証がなってないヽ(`Д´)ノプンプン と思われる方もいらっしゃるかもしれません。そこは何とか温かく見守って頂けたら嬉しいです。
さて、ちょっと話がそれました。続けていきます。
この時代にはまだまだ通信環境といえば家電かポケベルか電報か郵便かのころです。面接結果は採用なら課長さんから電話がかかってくることになっていたと記憶しています。私は実家で暮らしていましたが、実家は古くから商売をやっていて、無駄に敷地が広い家でした。庭がまあまあ広く、お稲荷さんや井戸、それから一軒家くらいの広さの物置と2階建てのアパートが建っていました。アパートは親戚のおばさんが住んでいてアパートの家賃で暮らしていました。親戚のおばさんが老人になってアパート管理がなかなか難しいとなったころ、私が高校を卒業してすぐです。実家は5階建てのマンションに建て替えられました。商売もそのマンションの1階店舗で継続しながらマンション経営に手を出してしまったのです。うちの父は。もちろん借金です。ちなみにまだ少し返済が残っているようですが、私は今は全く実家にタッチしていないので不明です。
私はそのマンションの1階の本来は賃貸として貸す物件に住むことになりました。完全に別世帯と思いきや、1階は小さくなったけど庭になってまして
他の部屋も行き来できてしまうという構造です。結局は家族が使うスペースになりました。
そうゆうことで1階で固定電話も自分で番号を取って入れておりました。その頃は確か今と違って電話加入権が必要だったと記憶しております。電話加入権は結構な金額だったと記憶してますが、実際の金額は全く覚えてはいません。
そんなことで数日後、課長さんから採用決定のお電話を頂きました。

初出社

めでたく採用された私はその翌週だったかと思います。初出社日を迎えました。実家は東京メトロ丸の内線の荻窪駅よりちょっと新宿よりの駅が一番近い地域にあります。会社に行くのに一番良いと思われる路線は丸の内線で赤坂見附駅まで行って、赤坂見附駅で銀座線に乗り換えて、三越前駅まで行きそこから徒歩5から6分くらいでした。丸の内線はまあまあラッシュ時の込み具合なのですが、銀座線は激込み具合でとても苦痛な初出社の通勤でした。それまでは都心方面は避けていたのと、一時期はバイク通勤だったので、通勤ラッシュがとても不快です。
どうにかこうにか会社について本社の片隅に設けられたCAD課に出勤しました。初日から確か1週間くらいだったかと思いますが、まずは研修です。この会社がどんな業務を行っているか、他の部署、特にトレースをしている部署を見学しながら時折雑用を頼まれるような感じでした。CAD課といえば設置されたばかりで上司のS主任さんは、下請け業者としてサブコンさんのCAD課を行ったり来たりしており、なかなか落着かない雰囲気を醸し出しておりました。CAD課はS主任と私と2人態勢になり、これからの部署として期待の部署だということのようでした。

いよいよCAD初体験

CADというソフトがあるのは知っていました。建築図面の経験はありませんでしたが、機械図面の製図や簡単な設計は勉強したことがある。その程度の知識でした。ようするに建築設備のこともCADのこともド素人です。
自信もありません。ただただ人となるべく接することのない仕事で探していて引っかかった。というとても偶然からのCADオペレーターの始まりです。
ところが、この会社自体が設計会社ではなくトレースや図面の製本がメイン業務の会社。たまたま営業がお客さんからCAD課を作れと言われて作ってしまったという状況です。上司である主任さんはもともと営業課にいた方で、たまたま体調を崩して、営業は無理だろうということで抜擢された、この上司も建築設備も設計も経験なかったという人。そんな中でのCAD課のスタートでした。(スタートといっても私は最初の課員というだけなのですが)
さてさて、初めてのCAD。上司が作成した基本設計を教材に設備の説明を受けつつ、操作方法を教えてもらいます。たしか、これは半日か長くても1日くらいだったと思います。あとは、自力で操作方法を修得していくしかありません。なんせ2人しかいない課で、上司は客先に打合せというか、わからないことを客先のCAD課に行って聞いてくる、ついでに新しい案件の依頼を受ける。そんな日々でした。私はひたすらCADの操作を覚える日々。操作に関しては一週間もしないうちに覚えてしまいました。
CAD操作ができるようになれば、いよいよ本番。建築設備の基本設計の仕事を任されます。建築設備の何を設計するか? というと空調ルートの設計です。簡単に言うとダクトの大きさとルートを決めていきそれを図面にするという仕事です。このころはまだ空調用CADが出始めのころですから、思ったように図示できないことも間々ある時代。計算尺と関数計算機を片手に設計していきます。しかもです、まだMS-DOSの時代です。今では考えられないですが、CADソフトのフロッピーと記憶用フロッピーが必要で、朝の日課はフロッピーディスクをパソコンに間違えないように入れること。これがパソコンの機嫌が悪いとうまく立ち上がらないこともあったように思います。
今そんなことがあったらイライラしてすぐにカスタマーセンターに電話してしまうところですが、この時代はまだまだ余裕がありました。
何度か電源入れ直しているうちに動くだろうってなもんです。バブルの余韻が残るそんな時代でした。余裕!!  来週に続く

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