ひとりひとりの違い(妻、私)あれこれ
表題の件について考える。
千差万別、十人十色、人それぞれ、いろいろな言葉が昔からあるけれど、多様性が重んじられるようになってきたのはごく最近だ。
生まれてから今まで他人と意識が入れ替わるというようなことはないため、物事を考えるときには必ずその人の主観が入る。
この主観をどれだけ取り除くことが出来るかが、ひとりひとりの違いを認識するための重要な一歩であると私は考える。
目次
妻と私
買い物
Twitterの懸賞
主観について
まとめ
妻と私
妻と私は根本的に違う。
性別が違う、好きな食べ物が違う、考え方が違う、優先する物事が違う、子供への接し方が違う、と様々な違いがある。
主観を交えて言ってしまえば、正直なところ「理解不可能」だ。
それ故に喧嘩になることもある。
買い物
一例でいえば、妻は買い物に時間をかけ商品を吟味し、より良いものを見つけ出す。
商品の吟味に伴い商品の価格も上がっていく。
たたし、その価格が家計の支出として認められるものかどうかに関しては吟味しない。
私の買い物はというと、家計の支出として認められる価格帯の商品の中から選択し、なるべく時間をかけない。
この違いにより何が起こるかというと、数年後自宅には妻の買ったものだけが散見される状態となる。
一見、私の買い物の仕方の方がコストパフォーマンスが良いように見えるが、長い目で見ると妻の方が賢い買い物をしているのである。
Twitterの懸賞
別の例をもう一つ。
妻と私はTwitterの懸賞を行っている。
Twitterの懸賞とは、企業様(または個人)が企画しているものでツイートをリツイートするだけで手軽に応募できる近年流行っているスタイルの懸賞である。
時間のかけ方の違いもあるが、妻の懸賞はよく当たり私の懸賞はほとんど当たらない。
私はリツイートして少しコメントを残す程度の懸賞スタイルで、妻の方はというとリツイートはもちろん、商品への詳細な感想や意見を自由にコメントに書き込み、日常的なつぶやきも自由に行い、気が合いそうなフォロワーとは自由に絡むなど、自分の感情ベースで行動するというスタイルだ。
その結果企業様の目にも止まりやすくなり懸賞が当たっているようだ。
しかしこれは一見、妻の方が利益を生み出しているように見えるが、届いた商品とかけた時間を考え、時給換算すると子供のお小遣い程度の利益にしかなっていないため、家計として助かっているわけではない。
主観について
前述した2例について、私の主観が色濃く混じっていることにお気づきだろうか。
それは私が「時間」と「利益」を優先順位の上位に置いている考えを持っているということだ。
全ての人に等しく与えられた時間を無駄にしないことと、その時間を使って得られる利益により生活が成り立っていることの事実が重要になってしまうのは至極当然ではある。
しかし妻は、「時間」や「利益」を優先順位の上位には置いてはいない。
買い物の例を見ても先のことは考えず、買い物自体を楽しむこと、欲しいものを購入することに重点を置き、Twitterの例を見てもユーザ同士の絡みを楽しむこと、欲しい商品に応募することに重点を置いており、それにより良い結果も生み出している。
このことはひとりひとりの違いを説明するのにとても役に立つと思われる。
まとめ
大げさな表現をすると妻の行動は、資本主義の世界で資本主義の考え方に染まっていない人が取る行動によっても、生み出されるものがあるという証明になるのではないかと思う。
これは私の主観をできる限り取り除いた結果の見解であり、それによりひとりひとりの違い(良さ)を認識できたのである。
冒頭で述べたように主観の除去が重要なことであるといえよう。
ただ、ひとりひとりの違いを認識するまでは主観を取り除かなければならないが、その後は全面に主観を押し出す必要がある。
主観が何も含まれていない意見は何の面白みもなく、ただの極論となり、それこそ「ひとりひとりの違い」を尊重する思想とは真逆の思想となる。
ひとりひとりがやりたいことをやり、それによって自然に利益が生み出されるような社会(システム)を構築できれば、万人が幸せになることが出来るのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いろいろな考えがあると思いますが、
これからもよろしくお願いいたします。
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