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貸借対照表のスピノザ的見方

 スピノザ哲学にどハマりにハマっていると、少し外の空気を吸ってみたくなった。スピノザから学んだことは、物事の本質を捉えるには、その原因を探れということだ。
 そうした視点で会計学の貸借対照表についてみると、左側が資産、右側が負債+自己資本とある。
 これを因果関係として捉えると、負債+自己資本が原因であり、資産が結果に相当することが分かる。
 そして負債+自己資本は原因として、その全額が結果である資産に変状しているんだな。
 スピノザの場合、原因が消失しないのは自己原因としての神=実体のみであり、有限様態の原因は結果の中に消滅する。例えば精子と卵子という原因は子という結果の中へ消失する。同様に負債と自己資本という原因も資産という結果の中に消失している。
 だから例えば負債0で自己資本が100%の場合であっても、その自己資本は原因だから、結果である現金預金や在庫や固定資産に全額が変状しているのである。
 すると自己資本比率100%の企業であっても、現金預金が少なく運転資金がショートすれば倒産する。資産という結果の中にしか現金預金は存在しないのだから。
 もちろん自己資本比率が100%であれば銀行が融資して倒産は回避できるだろうが、銀行が手を引けば倒産する。
 そうした外部条件を度外視して企業内部だけを見ると、自己資本比率は何ら安全性を示すものではない。自己資本の額はそれ自体としては存在しないからだ。
 だから資本金とか利益剰余金は原因として消失しているのであって、それは結果の中の資産としてしか存在しないのである。
 それらの右側の勘定項目は、ただ左側の資産として運用された調達源泉を示しているに過ぎず、そのものとしては存在しない。もちろん負債の場合は債務が残るが、お金としては存在せず、資産に変状しているのである。
 要するに負債と自己資本の区別は、企業資産というポートフォリオに投資する資金の調達源泉が借金であるか、自社利益かの区別を示しているに過ぎない。実体としては存在しないのである。投資後は当然ながら借金した金も繰越利益剰余金も企業資産に変状しているのだ。現金預金として運用するのは資金繰りとして安全ではあるが低利運用でありリターンは下がる。
 したがって「貸借対照表」はなんら本質を表現する名称ではなく混乱するだけだから、運用・源泉対照表と読み替えた方がいいだろう。つまり運用資産とその調達源泉の因果関係表だ。
 この因果関係を踏まえて会計の本質を捉えないと、財務分析は単なる数値の羅列に過ぎなくなり、自己資本比率が高ければ安全だと機械的に判断してしまうことになる。

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