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Spike - ある夏のNYの思い出

今から12、3年位前の話。

NY、クイーンズのフォレストヒルズの小さな3階建てのアパートの3階の部屋に、兄と彼が当時飼っていたスヌーピーの原型として有名な犬種、ビーグル犬、名前はスパイクと自分は一緒に暮らしていた。


今考えてみると、なんでスパイクと名付けられたかと言う理由を、聞いたことはない。でもおそらく兄は映画監督、Spike LeeのDo the Right Thingのなど作品を好んでいたので、彼にちなんで名付けたのだろう。たぶん間違いない。


ある2月の初旬、NYが1年で寒さが特に厳しい時期で、その朝は雪が軽く降っていたかもしれないけれど、鮮明には覚えてはいない。朝の8時頃だったと思う。ヒーターが明け方頃に、急に弱くなって、寒くてトイレに行きたくなって目が覚めた。

暫く布団の中でぐずぐずして、なんとか自分の部屋の真横に位置するバスルームに入ると、スパイクはバスタブの前で、なぜかじっと動かず、硬直して横たわっていた。

習慣としてスパイクは、いつもジャンプしてバスタブに入り、そこで用を足していた。バスタブできちんと用を足すと、お利口さん!!と言って褒めて、トリートをあげていた。トリートをあげないと、スパイクは子供のように、いつもぐずり、トリートちょうだいみたいな、前足で催促するようなちょっとした仕草を見せた。


流石に寝ぼけ眼に驚愕して、スパイクを必死で擦るも、彼の魂は既に小さな体から抜けていた。。。彼の魂が旅立ってからかなり時間が、経過していたのだろう。スパイクの亡骸は、異様なほどまでにひんやりと冷たかった。


人が大好きで、表情豊か、そして愛嬌もあり、ビーグルサイズとしては少し小さな犬で、5,6歳の時でも、たまに近所の人からPuppyに間違われる事もあったらしい。

またスパイクには熱狂的なある若い兄ちゃんのファンがいた。彼はいつも仕事でバンの車を、近所の界隈で乗り回していたらしいのだが、散歩中のスパイクを見かけるたびに、そのバンの車で必ず追いかけて、話しかけて来たらしい。


そんな愛嬌のあったスパイクでも、亡骸のスパイクの顔は歯がむき出しで、こわばった野生の獣の顔つきしていた。魂が抜けるという事は、きっとそういう事なのだろう。まるで表情のない犬の剥製ように。


死因は未だによく分からないけれど、まだスパイクは8歳か9歳位だったので、ビーグル犬の標準寿命(12歳〜15歳)から考えると、少し早すぎたかもしれない。たまに調子の悪そうな時もあったけれど、急に予期せずに、この世からその存在を消したので、ショックで表現する言葉はしばらく見つからなかった。


スパイクが手のひらサイズの頃から、世話していた兄の衝撃は、計り知れなかっただろう。あんなに1週間くらい憔悴しきった兄は、未だかつて見たことがない。


自分とスパイクの関係は、おそらく3年位だった。基本的には、兄がスパイクの世話していたのだけれど、兄が仕事関係で多忙な日が続く時は、自分が代わりに散歩に連れて行ったり、身の回りの世話をした。


スパイクと一緒に過ごした時間は、ほんの僅かな間ではあったけれど、自分とスパイクには、ある共有した忘れられない強烈な夏の思い出がある。


ある夏の蒸し暑い日。夕暮れ前の午後だったと思う。自分のアパートから、3分くらい歩くと、そこは昔ながらの高級住宅地で、丁寧に刈り込まれた青々とした芝生には、スプリンクラーが回り、なぜかそこでは蛍が限られた命を、まるで楽しむかのように周辺を飛び回っていた。まず日本の都会では、蛍なんか見たことがない。蛍はどこか都会から遠く離れた、水の綺麗な田園地帯とかに、生息するものだと勝手に思っていた。


またその界隈には、Forest Hills Stadiumがあり、その昔はテニス、US オープンの競技場として、Jimi Hendrixや、なんと日本のバンド、アルフィーもそこでコンサートを開いていた。サイモン&ガーファンクルのアートガーファンクルはこの近所の出身だと言うことを後に知る。


いつもと違った散歩ルートを歩き、帰路に着く途中に、ある家の駐車場から、普通の2倍くらい、いやもう少し大きい丸々太った猫が、物凄い形相で、シャーシャーと言いながら突然現れた。考えてみてみると、サイズ的にはスパイクとそんなに変わらなかったかもしれない。

こんなに堂々と威嚇する攻撃的な猫は、未だかつて見たことはない。恐らくこの猫はカリフォルニアとかで稀に人を襲うネコ科のマウンテンライオンか何かと勘違いしていたのだろう。でないと説明がつかない。飼い猫、野良猫にしてはあまりに凶暴すぎる。

普通の犬ならば、すぐにカウンターを交え、吠えて応戦するのだろうけど、基本、気が優しいスパイクは気が動転してそれどころでない。完全萎縮し弱気モード。本当にこのままだったら、今にもその獰猛猫が襲いかかってきそうな勢いだったので、スパイクに逃げろって叫んで、猛ダッシュでその場を一緒に一目散に逃げ去った。


その後でまじであのでかいねこ、こわかったよね?ってスパイクに話しかけていたと思う。おそらく。

犬と暮らしていると、たまに心が通い合っているのではないかという不思議な瞬間がある。正にこの時がその瞬間の一つだった。言葉で表現するのはとても難しい。漂うような無言の連帯感みたいな。


もちろん犬の世話は根気がいる。楽しい事ばかりではない。散歩に連れて行かないとまずふてる。ベットにわざと尿をしたり、キッチンに嫌がらせのようにPooをする。またフローリングに穴を掘ろうとする。ストレスレベルが高いと、木の家具を噛んで傷をつけたりもする。でも半日ひとりで家にいたら、その気持ちは良くわかる。

あともう少しで、2月を迎える。今でもこの時期になると、毎年いつもスパイクの事を思い出す。どんなに夜遅く帰っても、家のドアを開けると、10年くらい会っていなかったぐらいの勢いで、しっぽを振って抱きつくように出迎えてくれた。でも本当に眠い時は、寝ぼけた感じでおかえりという風にドアまで来ては、すぐに振り返って、寝に戻ることもあったけれど。

犬にはそういうまめな律儀さがある。人だとまず寝てる。起きてこない。

自分はそれまで性格的には猫が好きだったけれど、スパイクが犬と一緒に暮らすのも良いよという事を短い生涯で教えてくれた。全力で、時にのんびりと日々の生活を支え、彩りを与えてくれた稀有な存在。スパイク。


どうもありがとう!!

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