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好き=とりつかれる

しんどいことや面倒くさいことが嫌い。
だけど、山歩きだけはずっと続けているんです。

とてもバテやすくて、吐きながら登ったこともあります。
「ううう、もう山なんか、今回限りでやめてやる…」
でも、その3時間後にはハイになって絶好調!
「山サイコー!ひゃっはー!たっのしー!」
同行した人は別人になったのかと変貌に驚いたといいます。
そんなことがよくあるんです。

ええ、私は山が好きなんです。
その一言に尽きるんですが、一体その山の魅力とは何なのでしょう?
ジョージ・マロリーは「そこに山があるから。」なんて、かっこいい言葉を残しましたが。私からは、到底そんなかっこいい言葉は出てこないので、悔しいですね。

いろいろと理屈は思いつきます。
一口に「山を歩く」言っても、歩く、達成する、景色を見る、たくさんの行動や感覚が含まれます。それぞれに語るべき魅力があります。そして、吐くほどしんどい時や危険もあるんです。

いろいろ理由を見つけてきても、説得力がない。理屈を言ったって、動いているのは感情。吐くほど苦しんだ後に、踊り出したくなるほど、というか踊るほどのハイになることの説明ができないんですね。当然、そんなの人にも伝わりませんよね。

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そんな説明のできないことに、昔の人々は「神」という名前を付けたのかななんて、ちょっと深遠なことを想像してみたりします。

私はきっと山の神にとりつかれているのかもしれません。
「好き」ということは、突き詰めると「とりつかれる」という説明のできないことなのかもしれませんね。

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