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ただ1つの空席

JRの夜行列車「ムーンライトながら」が廃止されるとのこと。
夜行列車が廃止されるたびに、そこで生まれるはずだったドラマも失われてゆくのかと、さみしい気持ちになります。

ムーンライト号にまつわる忘れられない思い出があります。
博多から京都に向けて走る「ムーンライト九州」でのドラマです。
乗ったのは20年近く前、中学生の時でした。

初めての青春18きっぷの一人旅で、北九州にいた親戚の家に泊まり、翌朝は山陽本線を東へ、大阪へと帰る計画を立てていました。

「もし夜行に乗れるのなら、もう1日九州を旅して帰れば?」

親戚の言葉に、私は俄然乗り気になって予定を変更。
その日の夜の博多発の「ムーンライト九州」に乗ることにしたのです。

当日朝に博多駅の窓口へ行っても指定席は完売。
お盆の真っ最中で当然といえば当然のことでした。
自由席は、リクライニングができない向かい合わせのボックス席の客車。
駅員さんによると「自由席は立ち席がでるだろう。」という話でした。
一晩だけならなんとかなるという気持ちで、そのまま長崎を目指しました。

長崎駅の窓口でも、空席を調べてもらいましたが依然として満席。
夜の旅は過酷なものになると覚悟を決めたのでした。
夏空のもと、少し暗い気持ちの私は、駅前で立ち売りしていたアイスクリンを食べました。
おばさんが
「今日は精霊流しに行くからお店はおしまい。代金はいいよ。」
と大盛りにしてくれたのが少しの慰めです。

しかし、日が暮れて博多に着いてから事態は急転。
ダメ元でみどりの窓口へ行くと、なんと1席空きがあるというのです!
510円で買った指定席券を握りしめて、まさに天に昇るような気持ちでホームへ駆け上がり、横付けされた青い客車に乗り込みました。

ちゃんと座って帰れる。
それだけで私は十分に満足でした。
列車が出発してしばらく、私の隣に座っていたお兄さんが声をかけてきたのです。
第一声は覚えてないのですが、ちょうど山田洋次監督作品の『十五歳 学校Ⅳ』を見たところで、その映画の主人公のような「家出少年」かと思ったのだというのです。
映画は、ある中学生が家出をして屋久島を目指すというストーリーで、その少年と私がオーバーラップしたのでしょう。

このお兄さんは大学生で、静岡のメル友に初めて会いに行くために夜行に乗ったのだとか。(メル友って懐かしい響き。)
いろいろと話し込んでいるうちに盛り上がってきて、古今東西ゲームをやったり、恋愛相談をやったりと、あっという間に夜がふけていきました。
機関車の付け替えのために長時間止まった駅では、2人で駅前のコンビニにお菓子やジュースを買いにいって、出発間際の列車にダッシュで戻ったりなんかもしました。

お兄さんの名前は聞いたけど、もう忘れてしまいました。
連絡先も交換していません。
残っているのは、とても楽しかった思い出だけです。

偶然得ることができた席、そして、偶然隣席に乗り合わせた人。
私にとっては忘れがたいドラマです。

きっと飛行機に乗っても同じようなドラマがあるのかもしれません。
LCCが普及して、飛行機での長距離の移動も簡単に手軽になってきました。
ただ、乗り物を単なる旅の手段で終わらせるのは、少し味気ない気もします。
今や電車ではWi-Fiが使えて、誰もが、今ここにいない誰かと繋がるために、スマホに目を落としています。それも悪くはありません。プライベートという価値が高まり、隣に誰かが座るとむしろ不快に感じる時もあるくらいです。長時間、隣に他人が座るような移動は敬遠されるようになりました。

メル友なんて言葉が死語になった今でも、窓口できっぷを買い求める時には少しわくわくします。長距離のフライトに乗るときは、となりにどんな人が座るのか、少しどきどきします。
「ムーンライト九州」であったような、ささやかなドラマに会えることをどこか期待しているのです。


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