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パンクラスでのベストバウト裏側

2018年2月4日
PANCRASE293

この大会覚えてる人いますか?

ディファがなくなりパンクラスが、
スタジオコーストで初めて開催された大会
メインが仙三選手VS若松選手のフライ級タイトルマッチ。
このタイトルマッチがとんでもない死闘だったんだけど、
この大会の2試合目が実はオレの試合で
中々良い試合だったのですが、メインが死闘過ぎて忘れられてるから、ちょっと語らせて欲しい!


VS 合島大樹戦


この試合の前にランカー(ハルク大城選手)、神田T800選手に2連敗して、かなり崖っぷちの状態でした。

しかし、当時自分の所属するAKZAには、
端さん(現パンクラス王者)、網さんというパンクラスで活躍している先輩がいたおかげで、連敗中にも関わらず同じ大会で僕にもオファーが来た。
そして、そのオファーの相手がGUTSMANの合島選手だった。
それまでオファーを一度も断った事がなかったのだが、
合島選手の話が来た時に初めて全く勝てる気がせず、恐くて試合を断ろうと思った。

しかし、当時のジムの代表から
2連敗中なのにオファーを蹴ったら、もう試合は組まれなくなると思う。と言われ
半分ヤケクソで試合を受けた事を覚えている。

そこから試合に向けた練習をしていたのだが
冬場だった事もあり、体重が中々落ちず、恐怖心もあり
(合島さんに殴られまくる気がしていた。)
心身共にかなり追い込まれていました。

そんな中、試合10日程前のスパーリング中に、
拳を痛めてしまい、かかりつけの先生から骨折しているかもしれないと言われました。

正直内心、骨折していたら欠場の理由にもなるし、
恐怖心からも解放されると思っている自分がいました。
そんな思いもあり、すぐにレントゲンの取れる病院に直行して、レントゲンを取ったのですが、
骨は折れておらず、打撲と診断されました。

普通の人だったらここで更にメンタルがやられて
計量オーバーとかに発展しそうなのですが
何故かそこで『あ、もう逃げられないし、やるしかないや!』と、ヤケクソ魂になる事ができました。
(※マイナス×マイナスはプラスの理論。笑)

そんなこんなで試合当日を迎えるわけですが、
もう一つ重要な事がありました。

当時は若かった事もあり、
今よりも水抜きをしていたのですが、
前日の計量を61.6キロでパスして、
試合当日の体重がなんと71キロぐらいだったと記憶しています。
パンクラスは当時、試合当日の体重も測っていたのですが、当日の体重は1階級上の選手よりも重かったのを覚えています。

そんなこんなで(前談が長い…)

試合開始

1R 相手の打撃が上手く、やはり劣勢だったものの
体重をかなり戻していた事が影響して、
パンチを喰らっても倒れる気がしませんでした。
(これで何となく勝てる感じがした。)

2Rも打撃戦が続く中で相手選手が疲れてきたのがわかりました。
そして、僕の打撃も少し当たり始めたタイミングで、
流れの中で寝技(クロスガードの体勢)になり、
直ぐに三角絞めのセットを作る事ができました。
しかし、三角絞めが浅く、極まる感じがしなかったので、そこから相手の腕も捕らえてアームロックをしかけました。
腕を極めていたら自然に三角絞めが深くなっていき、
気がついたら相手選手が落ちて、
一本勝ちとなりました。

正直実力的には、10回やって1.2回しか勝てないぐらいの差があったと思いますし、メンタル的にこの試合を乗り越えた事はキャリアの中でとても財産になっています。

僕はNEXUSでチャンピオンになったので、
今はNEXUSの選手として認識されていますが
パンクラスでデビューして、14戦しています。
勝っても負けても、新潟にいる時も試合を組んで頂きましたし、パンクラスに育ててもらったと思っています。
(※ここだけの話、今でもオファーは頂いているので、タイミングが合ったら普通に出場すると思う。)


とハッピーエンドで終わる筈だったのですが、

この試合の1週間後に会社で人事が発表され、
いきなり新潟営業所に異動を命じられる事になるのである。

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