「魅力」と「努力」を対比してみた。
「魅力」を今日も眺めていきたいと思います。
今日は「努力」と対比したいと思います。
まず、言い得て妙な言葉を閃いたので書きます。
『「努力」は疲れる。「魅力」は憑かれる』
まず、辞書で調べてみると以下です。
みりょく【魅力】
人の心をひきつけて夢中にさせる力。「魅力のある人柄」「魅力的な笑顔」
どりょく【努力】
ある目的のために力を尽くして励むこと。「努力が実る」「たゆまず努力する」「努力家」
まず、どちらも「○○力」と言う「チカラ」と言うことが分かります。
次に活用を照らしてみます。そうすると違いが分かりやすくなりました。
辞書の「魅力」の説明の活用例にそのまま「努力」を代入してみると。
「努力のある人柄」「努力的な笑顔」となります。
そんな言い方しないですよねw
相手が「努力的な笑顔」を向けてきたら、怖いですね。
逆もしかりで、今度は「努力」の活用例に「魅力」を代入します。
「魅力が実る」「たゆまず魅力する」「魅力家」
これも言わないですよね。
なるほど、
「努力」は力を入れている感じ
「魅力」は力を緩めている感じ
また私なりに「魅力」と「努力」をワード化してみますと
「魅力」…自然/磁石みたい/見えない/すでに持っている力/力を抜く/自分の価値基準/数値化できない/精神的
「努力」…社会/筋肉みたい/見える/補い獲得していく力/力を入れる/周囲の価値基準/数値化できる/物質的
いかがでしょうか。
私たちに馴染みのあるのは断然「努力」ですね。
この社会を生きていく上では、そりゃ「努力」は絶対必要ですよね。
ただね〜
「社会」は「努力」
ちょっとこれが気になるんですよね。
もう当たり前で疑う余地の無い常識なんですが、
「社会に合わない人」「努力をしない人」を否が応でも排除しちゃいますよね。
例えば、「不登校」って言う言葉。
これは「社会」が作った「学校」と言うシステム。そんな「学校」が作った言葉ですね。
「学校」ってよくよく考えてみたら相当ハードです。
平日(月、火、水、木、金)の朝から夕方まで(宿題あり)。
これが最低でも小学校の6年間、中学校の3年間。
常に「社会」が作ってきた、学ぶべきものを学びます。
さらに定期的にテストで点数を付けられ、周りと違う行動をしてはいけない。
これが学校という側面です。
私が今、小学生だったら間違いなく「不登校」を選びます。
もしくは、「自由登校」。
ただ、この学校というシステムが無ければ、「不登校」という言葉も生まれない。
なぜ、この綺麗な自然がある地球で、一番に生命エネルギーの溢れている子どもの時期、子どもは人生の80%を教育に充てるという一択しかないのか。
学校に行かないことを「不登校(最近では「登校しぶり」らしいが大差は無い)」と言われ、問題行動のある人物とみなされるのか。
厳密には学校に行くのは子どもの自由裁量があるが、行かせるのは大人の義務だそうです。
私が言いたいのは、「学校に行かないという選択」もこれからの時代あってもいいということです。
「社会で努力を続ける」と同じ様に「自然に魅力に暮らす」も可能になってきていると思います。
今までの時代を決して否定している訳では無く、
時代や社会が成熟してきたからこそ(インフラ整備、医療の向上など)、
そろそろ「力を抜いて、ありのままの自分で、のんびり生きていく」
そんな選択もしてもいい時代をスタートしたいと思いますね。
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