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『未来を創るお笑い改革〜日本を「おもろい」から解放せよ〜』vol.1

はじめに

日本の「お笑い」が変われば、地球全体が変わると割と本気で信じている。

私は、2004年に「太陽コンパス」というコンビで沖縄のお笑い事務所で活動を開始した。その後、解散し、「キングストン」というコンビで2年。次は「スパプリ」と名乗り、太陽コンパスの頃の相方と東京で活動した。しかし、東日本大震災を機に沖縄に戻り、お笑いから身を引いた。いわゆる「挫折」である。そもそも、あの震災が起きる前から、けっこう精神的に病んでいたし、いずれにしてもあのタイミングで身を引くのは正解だったと思う。
帰沖後、古巣の事務所幹部からは「事務所の中で解散を繰り返すとは、俺にケンカを売ってるのか」とか、「二度とお笑いに近づくな」だとか、すごく怖いことを言われた。17歳からお笑いをはじめ、24時間お笑いの事を考え、キングコング西野氏の様に、ゲロを吐くほど、ネタを書き、実際に歯茎からも良く血を出していた。

そんな中、お笑いをやめ、関係者から近づくなと浴びせられた暁には、当然ながら、アイデンティティクライシスに陥った2011年4月だった。

沖縄のローカル番組を見ると、同士だった芸人が活躍していた。見るたび、気が滅入ったし、義理を通さずお笑いを辞めたことで、同士の芸人全員に嫌われたと心底思っていたし、世間が私を否定していると思っていた。

割愛するが、その後、色々あって地元の町の議員に立候補し、当選した。

それを面白がってくれたローカル番組のディレクターが「天才芸人」として、私をメインに特集をしてくれた。

そのディレクターがまだ駆け出しの2009年頃、ネット配信番組を制作していた際に、持てる全てを出しきって、死んでもいいという気迫で、ロケに全身全霊をかけていた私を買ってくれていた模様。

憧れていた先輩芸人がメインで、沖縄で地位を確立した後輩芸人が、私を芸人の頃の恩人であるとし番組は進行。数年ぶりに天才芸人が議員となり、テレビに戻ってきたとあおり、粗削りの若手芸人と絡ませたら面白くなるのか?という構成。

このディレクターの編集は結局何をやっても面白くなる。

そう知っていた私はカットがかかるまで何時間でもやってやるという思いで挑んだ。

案の定、めちゃくちゃ面白く仕上がって、そこから何度も番組に呼んでもらったし、2020年には、東京で頑張っていた相方も沖縄に引き上げてきて、太陽コンパス再結成もした。

しかし、2007年から現在まで一連の時間の経過の中で、私の様に「お笑いPTSD」になっている元芸人は案外多いことも分かった。それは、当時の仲間から話しを聞いた際、「誰々はどうしている?」という話しになると、連絡がとれない。お酒でトラブルになっている。等々。当然、幸せに暮らしている人もいるが、今も芸人としての人生に折り合いがついていない人は結構いる。

 「お笑い」に限ったことではないのかもしれない。音楽も、演劇も、ダンスだってそう。
若いころに、「夢」という「呪い」に魅せられた人間の、特に芸能の寄る辺なさったら無い。

「夢追い人」の刹那への言及はこれぐらいにして、
お笑いに限って言えば、ここまで流行し、文化となってきた中で、
今一度、見なす時期が来ていると考える。

結論から言えば、
「この閉鎖性をしっかり否定しなくてはいけない。」
その上で、再定義をする。

それによって日本人の本来の気質が解放され、
結果それは、世界に誇る日本人のアイデンティティが覚醒し、
混沌とした世界のロールモデルとして活躍する未来が示される。

今回、
初めての執筆であり、
誤字脱字、支離滅裂、論理崩壊をしているという前提条件を共有しておきたい。


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