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長嶋茂雄さん

こんにちは。

安田和世です。

昨日のニュースを見ていて、『長嶋茂雄』さんが野球界からは初めて文化勲章を受章したという記事を見かけました。

参考:時事通信
https://www.jiji.com/sp/article?k=2021102600930&g=spo

文化勲章について、何度も耳にした事がありましたが、どんなものなのかきちんと知らなかったので調べてみました。

文化勲章は、「科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者に授与される、単一級の勲章である」
参考:文化庁
https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsuka/

世の中に大きな影響を与えた一部の人だけが受章できるものなのですね。

長嶋さんは、2005年に文化功労者、2013年には国民栄誉賞も授与されています。

小学校から高校まで野球をやっていた私にとって、長嶋茂雄さんといえばジャイアンツ、ジャイアンツといえば長嶋監督という印象でした。
どんな方だったのかを知りたいと思ったので、実績にフォーカスした形になりますが書いてみました。

選手時代

長嶋選手の現役時代は、私が生まれる前だったので、
選手としての活躍はテレビで見たホームランを打つ姿、華麗な三塁守備ですが、どのくらい活躍されたのか成績を見てみました。

長嶋茂雄選手は、立教大学から巨人に入団し、
いきなり1年目から本塁打王と打点王を獲得。
新人で本塁打王を獲得したのは過去2人しかいません。
この年の打率は2位であと少しで新人での三冠王、一塁ベースの踏み忘れで消えたホームランがなければ新人でのトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)も達成という驚異的な記録で、強烈なインパクトを残したそうです。

当時はプロ野球より六大学野球の方が人気だったそうですが、
長嶋選手が入団2年目の天覧試合でサヨナラホームランを打ち、このホームランを機にプロ野球人気が高まったといわれています。

その後は巨人の4番に君臨し、王貞治選手とのONコンビで活躍し続け、巨人の9連覇に貢献。
通算2471安打、444本塁打、1522打点を記録。

引退試合での、「我が巨人軍は永久に不滅です」というスピーチは有名ですね。

引退後

選手を引退した翌年から巨人の監督に就任し、
1度目の監督時代は成績不振もあり退任。

退任後は、意外ですが、バラエティへの出演や、海外も飛び回り、野球のみならずスポーツ全般の伝道者として活躍し、その後再び巨人の監督へ就任します。

私が知っている長嶋さんは、2度目の監督時代からです。
「メイクドラマ」や「メイクミラクル」といったインパクトあるフレーズや、
インタビューの時の「う〜ん、どうでしょう〜」は、頭に残りやすく、小学生の私たちはよくモノマネしていました。

当時の巨人は、松井選手、落合選手、清原選手などの強打者、桑田投手、槙原投手、斎藤投手など超豪華な選手を揃え、勝てない時はいろいろな批判がありましたが、これだけの大物選手をかかえ、一つのチームとして戦っていけたのは、長嶋監督の実績や人柄があってこそだったのではないでしょうか。

巨人の監督退任後は、野球日本代表監督も務めましたが、脳梗塞で倒れてしまい、アテネ五輪で指揮を執る事は叶いませんでした。
その後、2005年に文化功労者、2013年には国民栄誉賞を愛弟子の松井秀喜さんと同時受賞されます。

現在

今年、久しぶりに長嶋さんをテレビで見ました。
オリンピックの聖火リレーです。
王貞治さん、松井秀喜さんと一緒に3人で、聖火を持って、ゆっくりと、とても嬉しそうに映っていました。

記事で読んだのですが、長嶋さんは、オリンピックへの思いがとても強く、聖火ランナーをとても楽しみにリハビリを続けてきましたが、昨年体調を崩して参加が不可能な状態だったそうですが、開催が1年延期になった事で、念願叶って参加する事ができました。

想像はつきませんが、強い思いを持って、必死に治療やリハビリに取り組んでこられたのだと思います。
そんな想像をしながら画面ごしに嬉しそうな顔を見て、感動しました。

さいごに

本人に直接話を聞くことはできませんが、
多くの人に影響を与えたり、何かを形にしている方は、思いがあって、自分の思いに正直なのだと感じます。
私も自分の思いを行動に。人生を通してたくさんの人に影響を与えます。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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