野村徳七翁の伝記・小説
野村証券の創業者の伝記が出版された。激動・波乱の証券業界で唯一無傷で生き残ったのは野村証券。その創業者・生みの親、野村徳七翁については、さぞかし多くの文献・資料があるものと思いきや、案外と少ない。だから、野村翁の実像はよくわからなかった。本書への期待は高いはず。
野村徳七は二人いる。初代と二代目。証券会社の創始者は二代目だ。全財産を賭けた仕手戦を三度もやる。そして全勝・負けなしで、それこそ巨萬の富を得、短期間で関西財界の檜舞台に躍り出る。大阪のみならず、東京でも貴族院議員に推挙される。
大胆不敵、豪腕、即断を常とするが、慎重で冷静な面もあり、理詰めの思考をする。株を買うには“まず調査”で、会社に調査部をつくるなど単なる株屋とはだいぶ違う。貴族院では、時の大蔵大臣高橋是清に質問する。かなり勉強して的を外さない。それが証拠に高橋は正面から答えているし、その後、大臣室に押し掛けた徳七にきちんと対応している。
この伝記はかなり小説に近い。人物に関する資料を念入りに渉ったというより、おおよその人物像を得たところで、小説になる。著者の想像力で、徳七と周辺の人々との会話がテンポよく話の筋を進めていく。こういうときの大阪弁はまさにうってつけなのだ。
仕手戦に挑むとき。徳七翁の心の底に何か抑え切れない衝動が沸いてくる。それは火山が噴火するときのように、静かな地鳴りから始まり、やがて神がかりの賭博師が現れる。運が良いとかではなく、運を手繰り寄せるでもない。徳七という人物を借りて、何かが顕現する。きっと中沢新一なら、精霊と後戸(うしろど)でつながった状態というだろう。
山一証券が二度の失財で姿を消す。日興証券もSMBCの一員になってようやく救われ、大和証券はさまよう。どうして野村だけが?その始原から何かが違う。
徳七翁の生涯から得心したことがある。証券業にとって、投機は不可欠な構成要素である。株屋と呼ばれようが、不可欠なのだ。銀行は、逆に、この要素を極端に嫌う。
証券業と銀行業は金融業として一括され、併列に扱われ、歴史のある局面では融合が計られるが、ソリが合わない。それぞれのつながっている原点が違うのかもしれない。
徳七翁が“調査”を重んじたことは既に述べた。しかし、彼が学問的な思考をしたのではない。感性が第一であることを確信しつつ、それを補うものに調査=理性を割り当てたにすぎない。この非科学的な序列が凄いのである。だからこそ、既に充分な資産家で、一生遊んで暮らせるのに、全財産を賭けるのだろう。
冷ややかな理性と、激流ののような非理性が主従どちらともわからぬ様子で混在する。一体彼はどこからやってきた人なのだろう。
伝記には、当時の大物といわれた人物が次々と登場する。その中で興味を引いたのは次の一節。
「今週帰ってきたんや。70日余り東南アジアをまわってきた。新渡戸先生も来てはって、偉い盛況やった」(福井保明『事を成すには狂であれ』プレジデント社、2020年、P.245)
北海道大学の元教員としては、新渡戸先生と徳七が、およそ対照的な二人が、何を話したのか気になるところだ。新渡戸先生の側に記録があるにあるかもしれない。
ついでに高橋是清の言葉。
「世間は景気が良くなると株が上がると言われるが、そうではない。株が上がるから景気がよくなるのです。違いますか」(同上、P.322)
これは、おそらく小説家が想像したセリフだが、新型肺炎で株価が大暴落した今日、次に来るのは大不況、ということか。
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