これは人生のドン底からノウハウコレクターを経て大逆転するまでの話。
「薬剤師で経営者、お金に困ることなんてないでしょ」
ママ友の何気ない一言が突き刺さった。
薬剤師で経営側やってるのに
「給料が半分になった」
ことがあるからだ。
子供につかせたい職業ランキング上位という
世間一般の常識がひっくり返りそうだが、
事実である。
上辺だけの安定 → ドン底 → 復活・上昇
一切の誇張なく
真実をお伝えしていきます。
この記事を読めば、こんなことがわかります。
重たい話、ダークな話も含みます。
そういった話に耐性の無い方はご遠慮いただいて大丈夫です。
40歳を目前にして
絶望のどん底へ落とされ。
そこから
「普通それやらないよね」
という選択肢で這い上がり、
望むものを手に入れ
人生を”書き換える”物語を
あなたにご提供します。
この記事を読むべき人はこちら。
この記事は、私の半生。
「薬剤師という勝ち組職業についていても、与えられたものに甘えまくって自分の力を過信していたら事業を崩壊させたよね。そればかりか、部下にも裏切られクーデターを起こされ、給料が半分になり地獄のどん底を味わったよ。でもそこから、ある人と出会えたことをキッカケに真の自分の生き方をみつけ、経済的・精神的・人間的な成長を経て復活し、本当に望んでいた幸せを手にするまで」
ジェット―コースターのような人生の出来事や
再生するための考え方を知っていただける物語です。
最後にプレゼントがあります!
下までスクロールして
すぐにお受け取りいただいてもかまいませんが、
とっても大事なことを書いているので、
どうぞ最後までお付き合いくださいね。
それでは、いきます。
私はよくいる、
自分のことだけ考えている人間でした。
それが、ありがたいご縁があって
【コンテンツマーケティング」を学んで以来、
他者から奪うのではなく
”与える”ことが出来るようになり、
その結果
こういったものが手に入りました。
これは、あなたにも手に入るものばかりです。
どうぞごゆっくりお読みください。
コンテンツマーケティングがあなたにもたらす可能性
薬剤師の資格を持っているのに、
薬剤師としてバイトをせずに
コンテンツマーケティングを選んだのはなぜか?
それは
薬剤師で時給2,000円もらうより、
コンテンツマーケティングの方が稼げるし時短だから
シンプルにこれだけです。
私が初めてコンテンツマーケティングに取り組み、
上げた収益がこちら。
合計123,820円の収益を上げました。
これらは「コンテンツ販売」なので、
在庫がありません。
つまり売上から手数料を引いたら
あとは全部収益です。
実際にやったことは、
「Brain」という情報共有プラットフォームにおいて
・自分でコンテンツを作り、販売
・他の人のコンテンツを紹介し、購入してもらう「アフィリエイト」で収益化
この2つだけです。
アフィリエイトで扱った商品は
1件あたり数百円から
高いものになると10,000円のものも。
コンテンツ作成にかかった時間は、
初めてということもあり十数時間。
アフィリエイトは
紹介するツイートをしただけだったので、
ほとんど時間はかかっていません。
つまり、
「時給にして1万円前後」の
労働でした。
コンテンツ販売は
やり方さえ知っていれば
このくらいの数字はすぐに出せます。
さらに「マーケティング」というスキルを用いて、
売上をガンガン伸ばしていくのが
「コンテンツマーケティング」です。
さらに、コンテンツマーケティングは
各種ツールを用いることによって
「自動化」することができます。
ネット上にお店を作って、
勝手にお客さんを集めてくれて、
勝手に売ってくれる仕組みを作るのが
「自動化」です。
そうなればもう、
時間にも時給にも縛られることなく、
好きなときに仕事して
好きなときに遊んで
自在に収入を上げていくことが
できるようになります。
このような疑問が
浮かんでくるかと思います。
コンテンツとは直訳すれば
「情報の内容」です。
動画もそうですし、音声、テキストなど、
あらゆる媒体の「情報そのもの」を指します。
コンテンツマーケティングとは
”情報を用いて情報を売る”というもの。
「情報を売るなんて怪しすぎる」
と思われるでしょうか?
実は、情報を売るというビジネスは
あなたの身近にもたくさんあるんです。
例えば、受験ビジネス。
受験ビジネスは、
参考書や予備校にいる時間を売っていますか?
そうではないですよね。
志望校に受かるための
「情報」を売っています。
「合格」という目的を達成するため
授業やテキスト、模擬試験などの
”情報コンテンツ”を売っているのです。
予備校を「怪しい」と思う人は
いないと思います。
受験と予備校の関係は
コンテンツマーケティングの中でも
特に身近な存在なので、
感覚的にわかりやすいですよね。
顧客が何かの目的を達成することをサポートし
達成させてあげる。
”何か”が
形のない”情報”なのか
形のある”モノ”なのか。
本質的には
”モノを売っている”のと
何ら変わりはありません。
”掃除機”というモノそのものが欲しい!
と言って買いますか?
掃除機マニアであればあるかもしれません。
でも極少数派でしょう。
このような”目的”を達成するために、
掃除機を買っているはずです。
「情報に必要性があって、その需要を満たせる」
のであれば、至極真っ当なビジネスである。
ここまでご理解いただけたでしょうか。
それでも副業紹介のサイトや本に
「コンテンツ販売」が出てこない、
もしくは非常に扱いが小さいのはなぜか?
これにはコンテンツ販売業の
「説明の難しさ」と
「属人性の高さ」に理由があるのだと思います。
”受験に合格する道”が
1つではないように、
”目的を達成するまでのルート”は
1つではないですよね。
”人によって違うこと”を、
万人向けのマニュアル本で
説明しきるのは非常に難しいのです。
私なら、
あなたに教えることができます。
”人によって”とか
”個性”をビジネスに活かす方法を。
人によって違うという構造のため、
”飽和する”ということがありません。
あなたにはあなただけの、
コンテンツマーケティングで成功する道があります。
その”道の歩き方”を
お伝えしていきます。
「難しそう」
と感じるかもしれませんが、
きちんと正しい手順を踏んでさえいけば
世の中の副業で同レベルに稼ぐより
ずっとイージーです。
たとえば、
プログラミングを実践レベルまで鍛え
クライアントワークで稼ぐよりも。
正直、40歳を過ぎてからプログラミングは
もうムリです(笑)
どんどん新しい知識を
入れる必要もありますしね。
でもコンテンツマーケティングなら、
”全体像”をつかんで
”必要なパーツ”を理解して
1つ1つパーツを作っていって
”組み上げる”だけ
これで完成します。
大きな骨組みは普遍的なものであり
流行に左右されません。
この文章を読んでくれているあなたであれば、
参入は難しいものではありませんよ。
根本的に”ムリ”な人は、
ここまで読んでいただくことなく、
途中で離脱されているはずです。
そういう具合に文章を調節しています。
だからこそ、私はこうしてあなたに
コンテンツマーケティングをお勧めしています。
やり方は全部お伝えします。
安心してついてきてくださいね。
稼ぐことと
稼いだ後のこと、
どっちが大事ですか?
私やっさんは
「自動化コンテンツマーケティングを教えてあなたの人生に経済的・時間的自由を提供する」
専門家、プロです。
生活を続けるためだけの仕事に
貴重な時間の大半を費やし、
趣味や好きなことに使える
時間もお金もわずかしか残らない。
このように言い聞かせ
一生の大半を仕事に捧げ、
いざ老後になったら
悲劇だと思いませんか?
日本ではこんな生活が
「当たり前」になっていますが……
もっと早いうちから、
自由に自分らしく生きる道を選んだって
いいと思いませんか?
選べる権利が欲しいと
思いませんか?
「とりあえずお金をたくさん稼げれば」
あなたの悩みのほとんどは解決します。
「そのうえで時間の余裕も作れたら」
選択の自由が生まれ、
あなたらしく生きようと思えるはずです。
そこまでの
最短最速ルートを用意しました。
正直、あなたが現段階で
・莫大な資産
・大谷翔平のような超絶スキルとマインドとスター性
このどちらも持ち合わせて
いないのであれば、
「自由な人生」への道は
情報コンテンツマーケティング一択である
と断言できます。
あなたの人生にとって本当に大切なこと、
大切な人のために。
お金はもちろん、
時間の束縛からも解放され、
心身ともに幸福になっていただきます。
あらためて、コンテンツマーケティングとは?
世にある”副業”とは
全く異なる構造のものです。
そんな超効率的レバレッジ(てこの原理)を
効かせることができるビジネス。
「コンテンツビジネス=情報発信ビジネス」に
「マーケティングの知識」を組み合わせた、
現代においてもっとも強力なビジネススキル。
そう思っていただけたら嬉しいです。
私は
そんな高潔な意志を持つ
あなたの味方です。
一緒に、
あなただけの素晴らしいゴールを目指しましょう。
そんなあなたのために、
少し自分の話をさせていただこうと思います。
やっさんの今まで。
平凡→地獄→復活
今でこそコンテンツマーケティングを会得し
収益を上げ、
さらにそれを伝える立場になっていますが、
ここに至るまでには大変な苦労がありました。
1つずつお話ししていこうと思います。
生まれ→育ち→イタイ奴
「勘違い野郎」のまま大人になった
実家が薬局です。
自分も薬剤師になりました。
「自分は恵まれていない」
と幼少期に思うことは特にありませんでした。
受験などピンポイントで努力はしましたが
特に大した苦労もせず、
一般的には十分高い部類のお給料と
そこそこの地位を手に入れました。
そんな”育ち”が生み出したのは
こんな「イタイ奴」でした。
薬剤師が優遇された時期は
比較的長かったため、
似たようなヤツは
わりとたくさんいました。
周りもそんなもんだから、
何事もなければ
何も気づかないまま過ごしている人が大半でした。
そう、私も、
「あんな出来事」が起こらなければ。
順風満帆→人生最悪の事件で沈没
穏やかなでいつもどおりの
年末年始を過ごし、
新年の1カ月目が終わろうとしていた、
ある日。
突然、衝撃のニュースが飛び込んできた。
私の薬局はいわゆる”門前型調剤薬局”。
病院の横に必ずある、
あのタイプの薬局。
あれはタイアップモデルみたいなもので、
病院が回っている限りは
自分で集客をする必要もなく
非常に安定するビジネスモデル。
しかし反面、
病院に何かあれば一瞬で崩壊する
脆い構造を持つ。
年末からずっと体調が悪く、
休みがちだった院長の急変。
そういう知らせだった。
薬局2店舗を持つ会社で、
10人を超える従業員のうち
身内が4人で、会社役員。
いわゆる家族経営というやつだ。
病院がなくなったら、
メインの取引先がなくなるわけだから
当然売上は激減する。
そのカバーをどうするか?
当時私と一緒に10年以上働き、
店舗実務の管理をほとんど任せていた
女性薬剤師Aさんに相談した。
特別仲良くもないが、
確かな仕事ぶりには
全幅の信頼を置いていた。
「この案はアリ、こっちは現状ナシです。」
「私に実務を任せてもらって、やっさんには新たな業務を開拓してもらうという案はどうでしょう?」
前向きかつ、建設的な意見を出してくれた。
苦境には立たされるが、
幸いにして他の取引先もあったため、
このAさんがいれば何とかなる。
そう思っていた。
会社の方針も固まってきた
3月のある日。
社員全員を集めて、
全体説明会&決起集会をやることにした。
和やかなムードで始まった会議だったが、
ある瞬間に凍り付くこととなる。
具体案の1つとして、社員のボーナス減を提案した時だった。
突如、雷のような怒号とともに
かつて感じたことのない異常な緊張感が走った。
A「ボーナスカットだと!?ふざけるな!」
A「お前らの愚策のせいで経営が傾くのに、なんでその責任を社員に追わすんだ!」
A「私は散々、こうなる前に手を打てと言ってきた!
その忠告を聞かずに社員にだけ痛みを負わせるなど言語道断だ!」
突如、10年の付き合いの中で
一度たりとも見たこともない、
苛烈な剣幕と怒号でまくしたてるA。
私も両親も、何が起こったのか理解できない。
さっきまで和やかに、
対策について話し合っていたではないか…?
ボーナスは利益の分配なのだから、
利益が減ればボーナスが減るのは道理だろう。
役員はそれ以上の報酬カットを受け入れているのに……
Aの怒涛の口撃・攻撃は
落ちつくどころが
ガンガン勢いを増していった。
10年。
積もりに積もった怒りを
ここで全て吐き出さんとばかりに
まくし立てる。
A「経営悪化を他人事のように言うな。全て社長と役員が無能だからだ。まずそれを認めろ」
A「息子の勤務態度への意見を上げても親(社長)が庇うばかりで聞く耳をもたない。社員をないがしろにし、ぞんざいにあつかっている。」
A「社員教育もスケジュール管理も調剤業務も、全部私がやっている。負担が大きすぎる。」
A「社員の声が届かない。みんな我慢の限界だ。」
A「役員の人格がおかしい。私が間を取り持っていなかったらとっくに破綻している。」
A「こんな会社いつでも辞めてやる。社員は悪くないんだから、全員連れていく。私が面倒をみてやる。」
A「責任とって辞めるとか、そんなもので許されると思うな」
よくもまぁ、それだけの怨念と罵詈雑言を隠し持って平然と仕事をしていたものだ……
今思い出しても吐き気を催す、あの声、あの顔、あの言葉。
理不尽だろうがなんだろうが
「完全に否定はできないから言い返せない」
言い返せないでいるうちに
「ああ、自分はそんな最低な人間だったんだ」
と潜在意識に刷り込まれていくのを感じていた。
ただ、逃げ出したかった。
逃げ道はどこにもなかった。
この日を境に、
私を支えていた自信もプライドも
実績だと思っていたものも
全て崩れ去った。
何も言い返せなかった。
ただただ、頭を下げ、この時が過ぎ去るのを待った。
Aはさらに他の社員全員に促す。
「今まで言えなかったこと、この機会に全部言ってしまえ」
焚きつけられた他の社員たちも
日頃の不満をぶつけてきた。
なぜそれを今言う、
なぜそれはすぐに言わなかった……
もはやなんでもありだった。
あれは”扇動”だった。
異常な興奮状態の中、
新たな反乱のリーダーのもと
諸悪の根源に仕立て上げられた経営側に対し
「言ったもの勝ち」とばかりに
攻撃を浴びせる。
こちらの”罪悪感”という
メンタルダメージが相乗的に蓄積していく。
(そうか、今ひどい目にあっているのは全て自分のせいだったのか……)
なんと無力だったのだろう。
「会社の未来を真剣に考えているか、何か行動したか」
Aと私の差はそれだけだった。
それだけだからこそ、
絶望的な差があった。
何もしていなかった。
その自責が私の防御力を紙キレにしていた。
Aの言葉には圧倒的な重圧が乗っていた。
絶対に覆せない。
絶壁のような圧力。
・・・
結局、会社の立て直しは
「全てAの要求を飲む」形で落ち着いた。
無茶苦茶な案だ。
どうしてこんなものを承諾したのか、
自分でも正気の沙汰ではなかったと思うが
「圧倒的暴力の前に完全無力だった」
現実はこれ以上もこれ以下もなかった。
ただ無力だった。
ここからが本当の地獄の日々の始まりだった。
会社から帰った私を
さらに苦しめたこと。
この事実を家族に伝えなければならないことだった。
子供はまだ小さく、
物事を理解する年齢ではなかった。
(こんな小さい子にこれから不自由を強いるのか…)
胃の中身が全部
ひっくり返ってしまいそうになった。
奥さんは?
そりゃあもう、怒りに怒った。
ここで初めて、私は
「やられた」
のだと気づいた。
それくらい何も思考できないまま
家まで帰ってきていた。
奥さんの反応は
全て真っ当な意見だった。
まともな大人なら
「いやちょっとそれはおかしいでしょ」
と言えたはずの。
ここでやっと、我に返ることができた。
やられた、やりこめられた……
しかしもうすでに遅く、
完全敗北の結果は覆らない。
私は負けを認めてしまった。
明日からは
「経営を悪化させた張本人であり、一人の社員の意見に手も足も出なかった情けない経営者」と
「社員の代表として今まで言いたくても言えなかったことを代弁してくれただけでなく、経営を建て直すキーマンとして社員を引っぱっていくことを堂々と宣言した救世主」
このバカげた不平等条約のうえに成り立つコミュニケーションを前提として会社を再建する
という超絶難易度で地獄のストレスミッションに毎日挑まなければならない。
呪いの十字架と
理不尽なマウントを背負い
陰口に怯えながら
従業員に頭を下げ、
「お願いします助けてください」
と懇願しながら
業績をプラスに持っていかなければならない。
絶望しかない……
だが、
このとき奥さんから出た言葉に
私は命を救われる。
なんと強い人なんだろう。
こんな状況でこんな醜態を晒してきた夫を
「家族のため、勝ってこい」と力強く支えてくれた。
これから当分の間、
いやいつまで続くのかもわからない
長い長い期間、
とんでもない負担をかけるだろう。
でもいつか、
いつか逆転勝利を手にしたとき……
その後はもう一生かけて、
恩返しをしなければ。
その思いだけが私を動かしてくれた。
このときの奥さんの言葉がなければ、
私は全てを諦めていたと思う。
私の生涯の誓いとなった。
私の人生における最大の屈辱
クーデターの1日はこうして終わった。
その後、Aとの戦いは
実に1年以上も続くこととなる。
最後は
「もうカンベンしてくれないか」
の一言でアッサリと去って行ったのだが……
戦い続けることができた
この事実は私のこの後の人生を大きく動かすこととなった。
クーデターで失ったもの、得たもの、変わっていくもの
重たい話をしてすみませんでした。
でもここは良くも悪くも、
私の人生の大きな転機となったのです。
全てのことは到底書ききれないほど、
いろんなことが起きた1年でした。
多くのものを失いました。
とくに弟とは、
この事件以降大きな軋轢が生まれます。
弟はこの事件をキッカケに経営を降り、
数年後、
会社を去りました。
二人の違いは明確に
守るものがあるか、ないか
これだけでした。
得たものもありました。
シンプルにこれだけを考え、鉄則とするようになりました。
その後しばらくはAの穴を埋めるために奔走するのですが、
こういった事件があったため
と思考が変わっていきます。
クーデター以前の私には
絶対に生まれなかった思考でした。
それよりも、力が欲しい。
何にも頼らずとも家族を守れる力が欲しい。
二度とこんな思いはさせたくない。
40歳にして、
私の人生は大きく転換していくこととなります。
副業、ネットビジネスで力をつける道
「何がこれから必要なのか?」
シンプルに考えたとき、やはり
家族を守る力がある=お金がある
ということ。
これは外せない事実でした。
なぜなら、
からです。
お金は絶対に「目的」にはなりませんが、
「手段」としてこれほどにシンプルで強力なものも他にありません。
これは、あなたにも納得いただけることだと思います。
お金の不安から解放されたい
クーデターからの解放後、
私はそんなことばかり考えるようになっていました。
そんなある日、私の目に
あるインフルエンサーのYouTubeが目に入ってきました。
物語はここから、
「迷走の歴史」に入っていきます。
もしかしたらあなたにも
「あるある、わかる」
と思われる部分があるかもしれません。
ネットビジネスの世界へ
そのとき見たYouTubeは
いわゆる「FIRE」という概念でした。
「別に早期リタイアしたいわけじゃないんだけど…」
「でもなんか気になるなぁ、この動画」
これが私とネットビジネスとの出会いでした。
なんとなく見ているうちに、
理不尽な暴力に屈した私は、
何か特別で強烈な逆転の一手
そのようなものを求めるようになっていました。
そんな気持ちにさせられましたので、
あまり迷うこともなく
そのインフルエンサーの誘いに乗ることにしました。
サブスクで安かったので。
(後にこれは「入口は安く設定する」というマーケティング手法であったと気づきます)
そしてここからどんどん、
”ハマって”いきます。
ネットビジネスの沼に。
「よし、何かやろう」
「力をつけて、自分の人生を自分で切り開くんだ」
「きっとこれは本業にも役に立つことだ」
こうして私は、スキル系副業ビジネスの門を叩いたのでした。
最初の挫折
私が選んだのは、
「あるネットのツールの使い方を学び、それを使いたい企業の代わりに運用してあげて稼ぐ」
スキル代行系のクライアントワークでした。
このツールはまだまだ知らない人が多いにも関わらず、
導入して驚くほどの効果が出ている事例が多くありました。
「これは、今後もっと流行るに違いない」
「受講料はビックリするくらい高いけど……回収はできそうだ」
「クライアントから契約をもらうようなビジネスの経験はないから不安だけど」
今振り返れば甘々な見通しもいいところですが。
マーケティングの上手さにつられ
数十万の高額な受講料を支払って入塾したのでした。
先に断っておきますと、
そのスキルの将来も、
その塾の内容も
どれも間違いなく素晴らしいものでした。
教えるカリキュラムもきちんと作られていましたし、
案件の紹介もしてくれるのできちんとやれば間違いなく稼げたでしょう。
ええ、きちんとやれれば。
いざ講座がスタートして、
私は1つ大きな誤算をしていたことに気付きます。
それは
「忙しすぎる」
ことでした。
企業から案件をとるということは、
当然ながら基準を企業に合わせなければなりません。
打ち合わせ・納期・急な変更・作り直し・納品後のメンテ
今までやったことのない業務内容。
それをしかも、迅速にレスポンスしなければならない。
さっそく私は、
「やる前からできるかどうか不安で手が止まる」
状態に陥ります。
さらには、
熱意あるリーダーが引っ張ってきてくれるので
勉強会が突発的に、頻繁に開催されます。
どれもピカピカして目を見張る成果をあげている人たちの、
普通に暮らしていては絶対に聞くことのなかった話でした。
面白い、
のですが、
家族には了解してもらって塾に入ったとは言え、
奥さんからこんな不満が出てきました。
(君たちのためにやってるのに……)
私は盛大な勘違いをしていました。
さらには
「覚えることが多い」
「プログラミングの知識がないから、日々発見され投入される最新テクニックについていけない」
「作ってはチェックして直して、また作値直して…の繰り返し業務が絶望的につまらない」
とまあ……
「仕事なめんなよ」
って言いたくなりますよね。
いかに薬剤師として
ふんぞり返って仕事していたのかが
モロバレです。
レベルの低い言い訳を
脳内にズラズラと並べ、
できない言い訳、
やらなくていい言い訳を量産し
自らどんどんモチベーションを下げていきます。
そして、
「なんでもいいから1件作って提出すれば、以降は報酬の出る案件をもらえるようになる」
そんなカンタンな条件すらクリアできないまま、
辞めます、とも言わずにフェードアウト
したのでした。
最低なクライアントワーカーっぷりでした。
自分のビジネスを始め、スタートダッシュ成功!しかし…
クライアントワークに取り組んでみた
この1件は、
(自分て仕事できない側の人間だったんだな……)
と気づかされるに十分な体験でした。
とにかく
至極真っ当な、
時代にあった成功物語です。
でも、どうしてもできませんでした。
こんな自分が全く想像できなかったのです。
「それはもう、本業が2つになったのと同じだよ……」
って。
つまりは
できない、やらなくていい言い訳を並べて逃げ出した
のでした。
それでも副業収入の道は諦められなかった私。
フラフラとTwitterをさまよっていると、
が流れてきました。
それは形のある商品ではなく、
いわゆる「情報商材」でした。
あまりにTwitterがその話題で持ち切りになっていたため
興味を抑えきれず、私も購入。
そこには
「Twitterだけで億を稼いだ方法」
が書かれていました。
(なんだこれは……地道に働く意外にこんなやり方があるのか)
(ていうかこの文章、読みやすくはないのに引き込まれて読んでしまう、なぜだ?)
(これなら自分もできるのでは……?)
これが「コンテンツビジネス」との出会いでした。
億を稼いだ発信者さんは
「勉強して知識を沢山つければ、それだけで差が出来るからビジネスなる」
「ビジネスなんてカンタンなんです」
と説いていました。
根が単純な私は
その言葉を信じ、
いくつかの有料教材を購入します。
中にはかなりの高額のものも……
高額投資ではありましたが、
幸いに中身の伴ったものでした。
この時期に、
今の師匠のコンテンツとも出会っています。
それは当時購入しまくった中で、
異彩を放つものでした。
「こうやれば稼げるよ!」
ダイレクトに訴えてくるコンテンツばかりの中、
このような【本質】を教えてくれました。
プラットフォームで好スタートのはずが…?
2度目の挫折、いったいなぜ?
・億を稼いだ知識
・後の師匠の本質思考
・師匠の元に集まった仲間
これらを当時の私なりに総動員して、
プラットフォームでコンテンツを販売しました。
これはその時の売上画面のスクショです。
おかげさまで、初心者にして
”自社製コンテンツのみの純粋な売上”で
66,420円を稼ぐことができました。
嬉しかったですよ。
自分の作った商品で、喜んでくれる人がいる。
ランキングに載って、そのおかげでポロポロと売れていく。
「これだー!!」
「私にできる、やるべきビジネスだ!」
と喜びに浸っていたのも、束の間。
おおむね高評価がつくなか、
2件だけ低評価がついていました。
いや、あなたたち何様???
って思いましたけども。
酷評入れるだけで、
じゃあ自分は素晴らしい商品を生み出しているの?
と調べてみても、
全然そんなことはなく。
本当に素晴らしいプロダクトを産み出せる人なら、
詐欺商品でもないかぎり人のことを直接けなしたりしません。
そんな人たちの批評なんてほんの一部、
気にする必要なんてないんです。
でもそういう人たちって、
「声がデカイ」
んです。
どうしても気になってしまう。
実は他の人も、
内心ではそう思っているのではないか?
この「たった2件の悪評」は
その後もしばらくずっと、
重く重く、
私の足を引っ張り続けることになります。
めちゃくちゃネガティブになりました。
ようやく自分の力で掴んだチャンスだというのに、
次の一歩が踏み出せませんでした。
その結果私はどうしたか?
「何もしない」
「停滞」という名の「逃げ」を選んだのです。
これが2度目の挫折でした。
隠れたまま、「売れればいいや」に逃げた結果。
しかし今まで散々投資をしてきた手前、
ここで完全に諦めてしまうわけにはいきませんでした。
逃げはしたものの、獲物は狙ってるような状態。
そこで私が選んだのは「アフィリエイト」です。
アフィリエイトとは、
他の人の商品を”紹介”することで報酬をもらう仕組みのこと。
アフィリエイトと聞くと
あまり良いイメージを持っていない方も
いるかもしれませんが、
要するに「代理店ビジネス」です。
たとえば旅行代理店なら、
交通手段や宿泊先を
自社で提供するのではなく、
プランニングしたり、
マッチングすることをビジネスにして
収益を得ています。
このように
「仲を取り持つ」のがアフィリエイトと考えれば、
至極真っ当なビジネスであると
ご理解いただけると思います。
問題は、
構造の「歪み」にありました。
私が売り出したコンテンツはまさに
「アフィリエイト」に関するものでしたので、
自分自身で勧めたノウハウを使って
チマチマと稼ぐ日々が続きました。
有料で販売したノウハウを使っているだけあって、
そこそこ売れてくれます。
しかも利益率の高い案件を扱っていましたので、
1万円の商品が紹介から売れたら5,000円の報酬が入ってきたり。
悪くない稼ぎになります。
さらにアフィリエイトには
当時の私にとって
非常に魅力的な面がありました。
それは
自分の責任が非常に薄いこと。
商品そのものは販売者のものですから。
私が受けたようなクレームは
ほぼ全て販売者へ向かいます。
ただの「紹介者」である私のところへ
クレームは滅多に来ません。
ここはリアルの紹介業とは異なるところですね。
旅行に不満があれば、旅行代理店にもクレームが行くでしょうし、
このメリットはネットビジネスならではと思います。
つまり私は、
自分と言う存在を薄くして隠れたまま稼ぐことを選んでいた
わけですね。
稼げればなんでもいい
という思考です。
しかし、ここでもまた行き詰まります。
という良心のカケラは残っていたので、
自分が実際に購入した商品だけを売っていました。
このルールですと、
「仕入れ」に当たる出費が発生します。
いくら高いと言っても
利益率50%が限度。
2つ売ってやっと収支トントンです。
私の紹介方法は
「早く・薄く・広く」だったので、
販売開始時の「初速」に乗っかって売るパターンがほとんどでした。
だから、
1つの商品を継続して売り続けるということは
難しかったのです。
というか、
当時の私にそういう発想が
ありませんでした。
新商品が出そうな気配を常に察知し、
販売開始とともにセール価格で購入し
即、紹介する。
とにかく事前情報とスピード重視。
このように書くと、やってること
”転売ヤー”と何も変わらないですね…
でも、顧客から見れば
”私から買う理由”なんて
1mmもなかったんです。
たまたま目につくとこに私がいたから、
たまたま買っただけ。
ただの運ゲーでした。
うまくいくこともあれば
全く売れないことも。
だから実際は、
あんまり儲かってなかったんです。
流れの速いプラットフォームでしたので、
客側もすぐに「飽きて」しまいます。
次々に新しい、
売れそうな商品を見つけ、
なるべく早く手に入れて紹介する。
ここでもまた、
経済的・精神的に疲弊していきました。
トドメは、
紹介に使っていたTwitterアカウントが
シャドウBANされたことです。
シャドウBANとは、
Twitter社からの制裁処置の1つです。
Twitter側はあまり、
URLを貼ってリンクに誘導することを好みません。
リンク貼ってバラまくことを繰り返していた私のアカウントは、
”不適切な行動をするアカウント”として
SNS運営側に”隠されてしまった”のでした。
実はそこまで深刻な状態ではなく、
Twitter運営のご機嫌を損ねただけであり、
実際のところ数日で復旧したのですが…
Twitterにも
「オマエのビジネス、節操ないぞ」
と見放されたような気がして。
それ以来、このノウハウでアフィリエイトして稼ぐことも
パタリと辞めてしまいました。
何度目の逃げでしょうか?
3度目でしたね。
労働から逃げ
責任から逃げたにも関わらず
”清い存在”でいようとする…
迷走につぐ迷走でした。
でもこの時期に、
いろんな人との出会いがありました。
このタイミングに
師匠になっていただく方との接点ができたことが、
その後の私の人生のターニングポイントとなります。
迷走だとしても
動いていたからこそ、
出会いが訪れたのだと思います。
師匠との出会いと、最大の罠
この時期は、
積極的に情報収集をして
インプットは欠かしていませんでした。
何もできていないわりには
実績のある発信者、販売者と
関わろうとしていましたので、
いろんな人との出会いもありました。
後に師匠として仰ぐことになる方もその1人。
師匠はのんびりしたペースでビジネスをやっていて、
本当にビジネスやってるの!?
って疑いたくなるくらいでした。
でも何か底知れない強さというか、
芯のようなものを感じていました。
ワンピースで言えば、
レイリーのような感じ。
後に本当にワンピースと同じく
師匠と弟子の関係になるとは、
人生とはやはり「縁」なのだと思います。
でもこの時は「今はコンサルとってないんですよ!」と、
やんわり断られています。
そして同時期に、
私の価値観を決定づける
「とある発信者とビジネス」にも巡り合いました。
私にとっては
「最大の罠」であり
「最大の転機」でした。
こちらは「マイナスの意味で」。
「稼げればいい、後は知らん」という価値観への「拒絶」
ある日Twitterを見ていたら、
「アフィリエイトで短期間に数百万稼いだノウハウを教えます」
というツイートが目に入りました。
こんな歪みまくったメンタルに堕ちていました。
当初の崇高な理想はどこへ行ってしまったのやら……
立ち戻るにはもう少し、時間と経験が必要でした。
(それくらいカスマインドでした)
「アフィリエイトで100万超え」
結局また、飛びついてしまいました。
「やっぱり、これしかないか……」と。
話を聞くと、
ノウハウ自体は整合性があり
「その手があったか!」
と納得のいくものでした。
だからこそ
「これならやれる!」と
勢いよく始めました……
まではまあ、良かったのですが。
ここで「最大最悪の罠」にハマります。
アフィリエイトですので当然、
また商品の仕入れをします。
ノウハウを教えてくれた人が
「この商品を扱ってください。高単価で儲けが大きいので」
と紹介してくれたコンテンツ。
詳しくは書きませんが……
「え、この中身でこんなバカ高いの??」
正直そう思いました。
売るだけ売って、サポートも無し。
万能感を煽っておきながら、
中身は限局的な内容に終始。
典型的な
マーケティング”だけ”上手い商品でした。
「この情報が役に立つ人って、相当限られてくるんじゃ??」
「知識も経験もない人がこのノウハウだけマネして拡売していったら……」
「ゾンビがゾンビを生む地獄絵図だな……」
勧められないものを勧めて売れ。
この抵抗感は激しいものでした。
しかしもう購入してしまいましたし、
売らないとただマイナスになるだけです。
自らを奮い立たせ、紹介文を書いていきます。
しかし、
自分が良いと思っていない商品の紹介ので、
「全く筆が乗らない」
のです。当たり前です。
さすがに平気で嘘をつけるほど
マインドも地に落ちてはいなかったようです。
良いところを見つけようと思っても、
上っ面の言葉しか出てこない。
(こんな紹介されても買わんべさ……)
そんな文章しか出てこない。
私は過去にやっていたアフィリエイトは、
存在は希薄とはいえ
自分で「良かった!」と思う商品だけ紹介していましたので、
紹介することに心理的ブロックは
発生しませんでした。
しかし今回は……
あまりに価格と中身が釣り合わない。
「こんなビジネスで得たお金で、家族を幸せになんてできない。」
これが私がたどり着いた結論でした。
クライアントワーク、
コンテンツ販売、
アフィリエイト、
そしてこの高額アフィリエイト。
4度挑戦して、4度の逃げ。
四戦四敗で、日本シリーズを終えたような。
「来季どうすんの?コレ」
貯金も底をつく寸前。
誰にもプレッシャーをかけられてはいないのに、
1人で勝手に、
再び「どん底」に落ちたのでした。
失敗から見出した、私の「譲れない理想と理念」
私はなぜ稼ぎたかったのか?
なぜ、
「なんでもいいから稼げればいい」
と徹することができなかったのか?
給料半分になり煮え湯を飲まされた体験から
✅ 資本主義社会での圧倒的な力が欲しい
クライアントワークからの撤退から
✅ 家族のため、時間の自由も失っちゃいけない
コンテンツ販売での挫折から
✅ 絶対の自信を持てるビジネスがしたい
アフィリエイトでの痛みから
✅ ビジネスには責任が伴うから信頼を得られるのだ
高額アフィリエイトの絶望から
✅ お客さんも自分も、幸福になるビジネスじゃなきゃダメだ
何も成していないのに
こんな理想を抱くなんて、
バカみたいな話です。
なんと言われようと、
私はどれも諦めることができませんでした。
逃げはしても、
諦めてはいない。
苦し紛れすぎる
失敗続きの中で、
私が唯一手に入れたものがこれ。
「どれもこれも諦めない、しつこさ、往生際の悪さ」
でした。
失敗してきたからこそ、
ぜい肉が落ちて、
目指すものがシンプルになった。
今ではこのように捉えています。
そうだ、あの人がいた…
そんな、
海の底で陽の光を見上げるような
生活と心情の中。
ある日
「やっさん!お待たせしました。航海の準備が整いましたよ!」
失意の中でも諦めきれず、
暗い海底をさまよっていた私に
差し込んだ一筋の光……
師匠からの”招待状”が届いたのでした。
もう中身も大して読まずに(読みましたけど笑)
「ハイハイ!!乗ります乗ります!!」
二つ返事で
人生最大最後の自己投資をしました。
200万円一括で、師匠の船に乗るチケットを購入したのでした。
師匠と約束しました。
✅DRMという、「最もカタイ」ビジネスを作る。
✅投資分は絶対に回収する。
✅顧客も、自分自身も幸福になる。
✅教わった人達の異次元の成功確率を誇る、再現性あるメソッド。
✅本気で、時間もお金も感情も、全てを豊かにする。欲張っていい。
✅完璧主義もときには必要。
✅「全員引っぱり上げる!」
✅コンサルは「今回が最後」!
DRMとは「ダイレクト・レスポンス・マーケティング」のこと。
詳しくはここでは解説しませんが、
「コンテンツマーケティング」の
超大事な基礎となる手法であり、
「経済的・時間的自由の獲得」のためには
習得必須の項目です。
師匠の実績はこちら。
・ビジネス初心者の女の子がコンテンツマーケティング実践1カ月で収益化
・コストゼロでWeb上にストック型のコンテンツ資産を作り上げ、月50万円を2年間放置のままで稼ぎ続ける
・崖っぷち地方公務員が月100万を超える副業収入を得られるようになる
・プラットフォームだけで月収600万
・Kindleで850万
・コンテンツ購入者のリピート率は70%超
・本気を出してDRMでプロダクトローンチをしたら1週間で2,000万オーバー
まさに、
「すでに1回ラフテルを見てきたレイリー」
と言っても差し支えない実績です。
このとき門を叩くことができたのは、
迷走していたとはいえ動き続けていたこと
それが全てでした。
関係性があったから呼んでいただけた。
師匠が表に出て教える最後のタイミングに、
立ち会うことができた。
悪あがきでも、
行動していれば
人生は動き始めます。
どん底からの復活。そして
師匠のコンサルを受けること3カ月、
マジで人生が変わりました
最も大きな変化は
人生の「視え方」が全く変わったこと。
「いやいや、そんな自慢話されたって、
師匠さんはもうコンサルしないんだろ?」
と思われたかもしれませんが、
大丈夫です。
ご心配なく。
次は私が、あなたを引っぱり上げます。
絶望を何度も味わったからこそ。
同じような悩みを抱え、
道半ばで諦めてしまった仲間を
何人も見てきたからこそ。
師匠にめちゃくちゃ救われたからこそ。
伝えたい。
救いたい。
今度は私が「導く者」として。
私の「理想」「理念」に「嘘はない」ことは、
私の失敗と挫折のお話を呼んでくれたあなたには伝わっているはずです。
どうぞ遠慮なく、
信じてついてきてください。
私はあなたを絶対に裏切りませんし、
あなたが付いてきてくれる限り
絶対に引っぱり上げます。
一緒に、
あなた自信の理想・理念を見つけ出し、
叶えましょう。
同じ”高み”を目指すあなたへ、
プレゼントです。
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経済的・時間的・精神的自由を叶えた
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私が連れていきます。
お約束いたします。
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました。
やっさん