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どんな言い訳をしたところで、私たちはみんな誰もが好きな世界を生きている。

久しぶりに記事を書く。
ここしばらく何も書く気になれず、そのまま放置した。
書くネタがなかった、といえばその通りで、心に触れるものや気づきそのものが少なかったのだ。
で、今日は久しぶりに何となく書く気になったので、その気分が変わらないうちにパソコンに向かっている。

さて、今日の結論を先に言ってしまうと、
「私たちはみんな誰もが好きな世界を生きている」
ということだ。
つまり今自分自身が生きている世界はすべてあなたの望みの結果であり、思い通りの世界を自分自身で創造してその世界を生きているということ。

いや、全然違う。こんなの私が望んだことじゃないし、好きでもない。
という声が聞こえてきそうだけど、残念ながらそれはちゃんと間違いなくあなた自身が選んだ好きな人生に他ならないのだ。

全然違うよ、と頭(左脳)では否定するかも知れない。
じゃ、あなたが望む世界、あなたが好きだと感じる世界に移行すればいい。
そう言うと、いやでも○○○がこうだから、だって△△△がああだから、周りに迷惑がかかるから、とできない言い訳を並べ立てて、自分が望まない世界にとどまり続け、これは本当は自分が生きたい世界じゃないんだ、と今いる現実を自分ではどうにもできないことを正当化しようとしてしまう。

人は本当に心からそうしたいと望むのであれば、あれこれと考えずにとっくに行動している。そうなっている自分をイメージしながら、心躍る感覚をつかんでいるはずなのだ。

それは本当に些細な日常生活の行動にも表れる。
旅行したいのであれば、行きたい場所を調べたり、チケットを買ったり、まだ行ってもいないのにすでに行った時の感覚に浸ってワクワクする。
人気のカフェで美味しいスイーツを食べたいと思ったら、すでに一緒に行く友達を探したり、そのカフェまでの行き方を調べたり、何を食べようかとメニューを見てすでに脳内で味わってたり、たとえ並んだとしてもそのミッションを完了するまであきらめずに楽しみながら並んでいるはずだ。

人は本当にそれを望むのであれば、あれこれと言い訳せずにできる理由だけを見つけ出し、能動的に行動に移す。環境的に今すぐには行動に移せなくても少なくともその時にために準備はするしイメージするはずなのだ。
それが人間の本能というものじゃないかと私は思う。

どんなに今の現状に不平不満を抱いていても、あれこれとそれをしない(できないではない)理由を並べ立てても、自分がそれを選択し、現実を創り出し、その世界を生きているのだ。

自分の気持ちがわからないという人は、現実の世界から自分を見てみるといいかも知れない。いま自分自身が生きている世界があなたの気持ちの表れだからだ。それ以上でもそれ以下でもなく、それを黙って素直に認め受け容れるしかない。
それが嫌で変えたいのであれば積極的に行動するしかない。地球は行動の星というが本当に行動がすべてだ。確かに頑張ってもつかめない夢はあるかも知れない。実現不可能なこともあるかも知れない。
それはやり方が間違っているのか、あるいはそもそも自分自身が今世でやるべき道ではないか、道が間違っているのに無視し続けているのかのいずれかではないかと思う。

これは私自身の人生に対しての最近の気づきだ。頭では理解していたが腑に落ちたという感覚なのだ。
「いや」とか「でも」とか言ったところで、すべては自分自身の奥底にある気持ちの通りになっている。それがいま生きている現実の世界なのだ。
今より少しでも変えたいなら行動するしかない。待っていても何も落ちては来ない。棚から牡丹餅も、棚の扉を自分で開ける行動をするから牡丹餅が落ちてくるのだ。

私たちは誰一人として例外なく、自分自身が思う好きな世界を創造しながら生きているのだ。積極的に行動して来たものをジャッジすることなく、ああそうなのね、とただ無条件に受け容れる。そんな境地になれたらきっと世界はやさしく微笑みかけてくれるはずだろう。

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Yass☆見えない世界の探究者
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