直感と直観。
先日、「ちょっかん」をテーマにあるところで話をしました。
「ちょっかん」にはふたつあります。直感と直観。字が違うようにその意味合いも違います。
直感は英語では、"inspiration" といい、直観は、"intuition" といいます。
直感(inspiration)は、言い換えれば「霊感」でしょう。
自分の内側から湧き出てくるものではなく、いわば外から「受け取る」ものだと感じます。それはおそらく潜在意識よりももっと奥深いところにある、集合意識とか超意識とかいわれるところからのものだと思います。
すべての意識は実は繋がっていると言われていますし、アカシックレコードと言われる原始からのありとあらゆるデータバンク(クラウドのようなものかも?)があると言われていますので、そこからのメッセージかも知れません。あるいは、多次元で自分が存在しているとすれば、そのあらゆる次元の自分自身からのメッセージかも知れません。
いずれにしても、突然のひらめき、ということですが、自我を手放して無我に近い状態、大いなるものとの一体感(脳波ではアルファ波とかシータ波とかかも)を感じていくことで得られるものかもしれません。
一方、直観(intuition)は、過去の体験や知識、知恵をベースにした自分の内側からの論理的考察による即時的推論(これもひらめきです)です。
経験を積み、判断力、洞察力、俯瞰力、分析力などが身についていけば研ぎ澄ますことができるものですし、その精度は高まっていくはずのものです。
そしてそれが自分を信じる力=自信に繋がっていくものだと思うのです。
ちょっかんは正しい、と言われます。たぶんそれはどちらのちょっかんにせよ、おおむねそうだと体験的に感じます。しかしたまに、あら、違った、ということも起こります。それは直観のほうじゃないのかな、と思うのです。
しかし正しいか正しくないかは実はあまり重要ではないように思うのです。
ちょっかんを正しいものにする行動力のほうが大事ですし、ちょかん的に選んだものをこれでよかったんだ、と受け容れる力も必要だと思います。
正しさを追い求めると、ものすごく冷たくなる時があります。
それは確かに正論かも知れないけど、人間としてどうなのよ、ということって多々あるのです。優しい嘘が時には必要な時もあることを誰もが知っていると思います。
ちょっかんを磨くことは大切です。磨き方は人それぞれのやり方があるのでその人に合うやり方を見つければいいと思います。
ちょっかんについて話をしていて出たひとつの結論はこうです。
正しいか正しくないかよりも、受け取ったその感覚が自分にとって楽しいか楽しくないかで判断したほうがより自分自身納得がいくし、自分にとっての正解に近づくはずだということです。
仕事、人間関係、恋愛、お金……人にはあらゆる場面で判断を下さなければいけない時がやってきます。ちょっかんに従えばいい、と人はよく言いますが、選んだものが自分にとって心地いいのかどうか、それを感じる力くらいはせめて身につけておいてほうがいいですし、実はそれは子どもだってできることなのです。
大人になって経験値が高まり、知識が頭を支配し、情報があふれかえっている時を過ごして左脳が優位になり過ぎてパンパンになり、不具合を起こしているのであれば、自然に触れて自分に還る時間(リトリート)、自分自身の内側で起きていることを味わう時間(マインドフルネス)を積極的に取っていくことが必要です。