友達と知り合いの境目って?
最近ではSNS等で「友達申請」という言葉があるが、個人的には違和感を感じる。友達と知り合いの境目ってどこなんだろう?
長い時間をかけて育み、お互いを理解し合って、友達という感覚にどちらからともなくなっていく。そういうものだと感じる。
まぁ正直どうでもいいことなんだが、そのうち「恋人申請」とかいう言葉も出てきてしまいそうな軽すぎる(ある意味失礼な)感じにモヤッとする。
このところ、感性感覚の合う合わないという問題が如実に浮上している感じがする。個人の感性感覚を大事にする時代に移行していき、また世界的にシフトチェンジしていくような出来事が起こる中で、これという正解がなく、自分で判断し自分で決めなくてはいけない出来事を突き付けられて初めて、今まで私は無理矢理周りに合わせていたんだということに気づいた人もいるはずだ。
それと同時に、今まで友達だと思っていたのにそうじゃなかったという体験をしている人もいるだろう。今まで気づきもしなかった物事の定義を揺るがし、定義づけし直さなくてはいけない、もっとしっかりとその本質を心で感じなくてはいけないような出来事が、誰の世界にも起きているのだろう。
それは私という本質を取り戻す作業でもあり、同時に他者という自分ではない感性感覚を今までとは違うかたちで受け容れ直す作業だと思う。
よく考えてみたら当たり前なのだが、人はすべて違う感性感覚を持っている。顔が違い指紋が違うように、同じものを見たり聞いたりしても、受け取るものは人それぞれだし、それでいいのだ。
正解がない世界。逆に言えば、さまざまな正解がある世界。それがこれから私たちが生きる世界なのだ。そこは自由な選択の世界。今までも自由な選択がなかったわけではないが、誰の目を気にすることもなく、自由に選択していい世界が広がってきている。
友達という言葉の定義も人それぞれでいいとは思うが、今まで以上に友達と感じる人たちは本質を理解してくれた上での心の繋がりなのだ、ということが感じ取れる社会になっていくような気がしている。
noteで共感する言葉に出会った。まさに今これからの時代の在り方を言い得ているなと感じたので勝手ながらシェアさせていただきます。
これからは自分の素直に正直に。自分自身というカタチを表現しながら他者と繋がっていく。それが自然と友達という言葉で表現される心の繋がりへと形作られていく。そこに無理はなく、強いられる感じもないし、申請したりされたりするものでもないのだ。
知り合いと友達は違う。友達とは見えないけどお互いに確かに感じ取れる信頼感のある関係、お互いの自由な選択を尊重し合え叱咤激励し合いながら成長できる関係に他ならないと感じている。
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