フラは生き方。ハワイアンの魂。
私はフラをやらないのであまりフラの話題をすることはない。それでもハワイで見たフラはとても印象的で、フラに対する敬意と代々文化を継承する者が持つ強さを感じた。
フラはハワイアンとしての聖なる象徴であり、歴史であり、文化であり、生活そのものであるといっても過言ではない。ペレやヒイアカが華麗に舞う姿を人々が見て、その美しさに魅せられて踊りを真似るようになったと言う説もある。
ちなみに、フラとタヒチアンは違う。タヒチアンは腰を激しく振ってストーリーを表現するのに対し、フラは手や指先をメインとして伝えている。
フラ(hula)とは「踊り」を意味するハワイ語だ。いまでは「フラ」=「踊り」として解釈されているが、元来は踊りだけではなく、踊りの際に使われる唱そのものや、唱を吟じる行為など、フラにまつわるすべての事柄を指していた。
ハワイでは日本と同じように太古の昔から森羅万象すべてに神が存在する八百万の神の信仰形態だった。大自然すべてに宿り、守護してくれている神々を崇める儀式をフラで表現してきたのだ。
もともとフラは宗教的儀式であり、限られた男性のみがヘイアウでメレ・オリを吟じ、パフドラムを叩きながらフラを踊っていたものだったと伝えられている。この儀式の習慣がハワイアンとしての精神、文化、伝統、芸術の基礎を創造していった。
神々へ捧げる儀式としてのフラは極めて神聖なものだった。フラを学ぶ場所をハラウと呼び、初期の頃はハラウ・ワアというカヌー小屋で教えられていた(wa'aはカヌーの意味)。
その後、ハラウでの教えも秘密主義となり、人々が簡単に覗き込んだりできない場所に建てられるようになり、ハラウの場所の選定は「神のお告げ」によって場所が決まったと言われている。
フラを学ぶことは極めて神聖なことであり、神々が宿る大自然に対して畏敬の念を持って接するため、さまざまなカプ(タブー、禁忌、ハワイにおける宗教的な法律)が敷かれていた。心身を清らかに保ち、穢れたもの、不浄なものに接することは厳禁というのが基本だ。それに加えてハラウ内の秩序を保つためにも、ムダな話をしないとか、禁欲とかが要求されていたのだ。
たとえ新婚の夫婦が入学していても厳しく適用されていたと言われている。
そして人前で踊るためには、数々の試練を乗り越えなくてはならなかった。宗教的な儀式の意味や語りを学ぶことは必須条件であり、フラは口承で伝わっているチャントを踊りで表現するものなので言葉ありきの踊りである。チャントの内容や本質を充分に理解して表現することは当然のこととして要求される。日本の伝統芸能などと同じような厳しさが求められるのだ。
こうして試練を乗り越えてクム(師匠)に認められると禊をして身を清め、卒業試験としてのウニキ(神前儀式)を行って初めて人前で踊ることができるようになったのである。
19世紀に入り、カメハメハ2世の摂政として王朝の実権を握っていたカアフマヌがキリスト教に改宗すると、露出の多い衣装(男性はマロ(ふんどし)姿、女性は腰蓑一枚)が卑猥であるという理由から、フラは禁止となった。1874年にカラカウア王によってカプが解かれるまで約50年間、フラは公式の場から姿を消してしまっていたのだ。さらに1893年、ハワイ王朝が崩壊すると、ハワイ語を話すことも禁じられたため、伝統的フラは衰退していった。しかし1970年代のハワイアン・ルネッサンス(ハワイ文化復興運動)によって、伝統的な古典フラを復活させようとする動きがあり、フラ・カヒコとして復活したのである。
フラは同じ曲でもハラウによってその踊り方が違う。細分化するとその数は数百にも及ぶようだが、大きく分類すると古典的、伝統的なフラ・カヒコとショーとして見せることを目的としたフラ・アウアナの二種類に分けることができる。
フラ・カヒコは、神に捧げる儀式としてのフラであり、神々への賛辞や宗教的な意味を持つ神話や伝説を起源として、自然崇拝やハワイ王朝への賛歌などを伝えるものだ。
"Hawai'i is Hula, Hula is Hawai'i." という言葉がある。
「ハワイはフラであり、フラはハワイである。」そう言われるほどにハワイを象徴する文化であり、表面的に目に見える踊りとしてのフラはもちろんのことだが、ハワイアンとしての民族的な精神、目に見ることができない魂が奥底にある。
フラとは何か?と尋ねられれば、私はこう思う。
フラとはハワイの文化(フラ道)であり、フラという生き方(哲学)そのものだと言えるのではないだろうか。
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