はた迷惑な〝生命の泉〟(カタバミ)/ 森 昭彦
なにかとすっぱいその訳を
ヒトが自然世界になにかをすると、必ず、そこに、湧いて出る。ポット苗に赤玉土を入れておきさえすれば、なんのタネを蒔かずともすでにカタバミの栽培が始まっている。もちろんタネツケバナ、ハコベ、ノゲシなども居候を決め込む吟遊詩人で、頼みもしない詩歌を披露してくれる。ひょろりと伸びて、うねって倒れて、嘆きの舞踊。「ああ、お腹がすいた」だの「陽あたりが悪い」だのと居候の三杯飯をわたしに強いてくる。黙っていればまだいいが、植物どもは、必ず園芸家にアレコレと小うるさく訴えるから困る。その点、カタバミはとても素晴らしい。潔いのだ。あれこれと要求することもなく、居場所さえ与えれば、勝手にひと花さかせて見せる(節操なく咲き散らかし、弾けて殖えるのは問題だとしても)。
「先生。どうしてカタバミは、歩道橋の上や階段の隙間でも生きてゆけるのでしょう」
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