24/09/06 めだかグリコ
7月に『地雷グリコ』の感想を書いたとき、こんなことを書いていましたが;
見たぜ。
漫画担当は「めだかボックス」の作画の方なんですね。た、正しい~!
本作の場合特に効果的だと思うのが、絵からケレン味を出せるという点。
僕は原作小説を読んだときはどの程度ケレン味のある世界観なのかということが途中までわかっておらず、遊戯王の王国編みたいなライバル校が出てきたところで「あ、こんなにフィクション濃かったんだ」と認識を修正することになりました。
このコミカライズでは作画のアクによって作品世界のケレン味を最初からビビッドに伝えられるので世界観がブレずにいけるんじゃないか…と。
あと漫画って「視点人物の切り替えを最高にやりやすい媒体」なので、『地雷グリコ』との相性は良いと思います。
感想でも書きましたけどこの作品は3番目のエピソードである「自由律ジャンケン」からなんで! そこまでは読もう! 僕も読むから!
余談。
以前「昔は誤読などによる人名誤認ネタはダイイング・メッセージのタネに使われることが多かったが、今は叙述トリックのタネに使われることが多くなった」ということを考えたことがありました。
それと似た感じで「強い合理性を前提としたロジックもの」って今は頭脳ゲームというジャンルにおいて活きるのかもしれません。
ダイイング・メッセージも人間が常に合理的で最適な行動をするという前提に基づいたロジックも、「実際そんなわけないだろ」というリアリズムの試験に耐えられずミステリでは書きづらくなってきている感じがしますが、条件を変えて生き残っていくのではないかという話。「日常生活の中ですべての行動を合理的で最適なものにする」は非現実的ですが、ルールがあり選択肢が限られるゲームにおいて着手を合理的で最適なものにするのはリアルですよね。
昔ながらのゴリゴリのロジックものでデビューした青崎有吾が頭脳ゲームものの雄作を痛快に書き上げたのを見てそんなことを思いました。