23/01/09 夢野久作完全攻略(6)
ちくま文庫版「夢野久作全集」第6巻には日本国外を舞台とした作品が多く収録されています。そしてこの巻もまた傑作揃いです。
夢野久作の短編には大作『ドグラ・マグラ』から伸びた枝のように感じられるものも多く、「作家読み」をする楽しみになっているのですが、この海外シリーズは逆にその結びつきが薄い分だけ夢野久作の新たな側面を見ることができます。
氷の涯 ★4.5
舞台はロシア内戦中の満州内ロシア租借地であったハルピン。駐箚の日本軍司令部に当時当番卒として勤務していた「僕」こと上村作次郎が、
という大事件の犯人とされている立場で、これら事件の真相、そして彼がどのようにこの騒乱の渦に飲み込まれていったか、どのようにして真相に辿りついたか、そしてどのような運命を辿って「氷の涯」へと至ったかということを手記の形で書き記すものです。
これだけの内容を中編に収めていながら駆け足なところは全くなく、情景から探偵まであらゆる描写が丁寧にして迫真、非常に完成度の高い作品です。
勝手な推測ですが、本作は夢野久作が「すごいものを書こう」と並々ならぬ意気込みを持って書き、そしてそれが叶った作品であると思います。同様の意気は「白髪小僧」などにも見られましたが、その志は完全な形で実ることはありませんでした。文庫版で140ページになるこの中編は、長いものを書くと意気込みが空転しがちな夢野久作にあって、意気が完璧に結実した貴重なケースなのではないでしょうか。
タイトルにもなっている「氷の涯」へと収束していくさま、そしてその涯にある結末は、凍てつくような凄まじくも美しい読後感を残します。
死後の恋 ★4.0
ロシア革命直後のウラジオストクで、町で狂人と噂される男に対面で聞かされるという形式で叙述される独白体のストーリーです。
彼はさる高貴な血筋であると自称し、従軍中に出会ったある美少年兵との数奇な因縁、そして「死後の恋」の存在について語ります。
その内容は生々しくありながら同時に幻想的で、真実ならば数奇としか言いようのないロシア帝国の王室へと繋がる飛躍を見せるのですが…。
推理小説では「作中で語られる情報がある特定の登場人物によって語られるものであり、その情報の真偽はその人物の主観によるものでしかない」という構造をあえて取ることがあり、「信頼できない語り手」という特殊条件として存在しています。
ところが夢野久作が探偵小説的な「ある事実を隠蔽したまま話を進める」タイプの話を書くときに、三人称視点によって「事実」が保証されて書かれるのは既出の「笑う啞女」など稀なケースがあるのみで、そのほとんどは「信頼できない語り手」モノになっています。
大作『ドグラ・マグラ』で「信頼できない語り手」の極致を書く夢野久作ですが、元々信頼できない語り手を標準装備していた推理作家であるともいえるでしょう。
支那米の袋 ★3.5
一転ホラー話。
ウラジオストクで青年軍人がロシア人の踊り子から昔話を語られるという形式で描かれていくストーリーです。米兵への偏見がすごい。
このワーニャも「夢野久作が書く女性登場人物」の集合体みたいなキャラだなあ。
爆弾太平記 ★4.0
暴風雨のさなか、斎木検事正が日本統治時代の韓国最南端・絶影島へ半ば島流しのように追いやられている水産技師・轟雷雄を訪ねるところから物語は始まります。夢野久作得意の演説調で轟技師の口から語られるのは、かつて対馬を挟んで福岡から南朝鮮にかけて水産漁業界に大きな問題を起こしたダイナマイト漁とその取締り、その裏で糸を引く巨大な利権や日本統治時代の官界・政界・実業界…と大きなスケールで語られる壮大な陰謀論。
轟技師の豪快なキャラクターが小気味よい。夢野久作作品は一人称"ワガハイ"の登場頻度がコロコロコミック並に高いのですが、轟技師は中でも一等濃厚なワガハイです(?)。波乱万丈のストーリーは痛快そのもの、ケレン味たっぷりの面白い話でした。
焦点を合せる ★5.0
全編サビのような純度濃度100%の夢野久作ケレン味三昧!
麻雀牌を密輸する大学生と、友人の依頼で彼を長崎まで運ぶ機関士の化かしあい、という表向きなのですがとてもそれだけでは語り尽くせません。
とある船上において機関士の寝室と機関室のたった二部屋で展開する30ページの短編でありながらコスモポリタンな奇想、ハッタリ、そしてドンデン返しに次ぐドンデン返し。それが夢野久作一流の語りで流れるように語られてく序盤・中盤・終盤と隙のない至高のエンターテイメントです。
幽霊と推進機 ★4.0
とある傑物が筆者に語って聞かせたという体をとって語られる怪談で、これも洋上の話。香港からシンガポールへ向かう貨物船に乗り込んだ主人公と一癖も二癖もある荒くれ者の船員たち、洋行中船内で乗組員にチフスが発症し…という物語なのですが、タイトルにもある幽霊が絡んで異様な方向へと展開していきます。
オカルト好みの夢野久作ですが幽霊を扱うのは意外と珍しい。というわけでこの話もヒュードロドロな怪談話にはもちろんなりません。最後までオチの見えない、独特な印象を残す奇譚です。
難船小僧 ★3.5
船シリーズ第3弾。乗った船がことごとく災難に遭い、唯一の生き残りとなることも多々という船乗りの間では名の知られた美少年を、科学的思考で迷信などは信じないたちの船長が拾って航海に出るという話。これも機関士の視点で描かれます。
話の本筋である海難よりも、甲板と機関室の間にあるこわもての船員たちの緊張関係や船長と機関士のやりとりなど、船という閉鎖空間の中にある社会の描かれ方が面白かったです。
人間腸詰 ★3.5
角川ホラー文庫から出ている夢野久作の短編集で、この『人間腸詰』は表題作になっていました。個人的にめちゃくちゃ収録作が良いと思っている短編集なのですが、そのタイトルを飾る本作はタイトル通りのホラー。看板に偽り無しの直球勝負なのですが、今読むともうひとひねり欲しかった感があり。
食肉が実は人肉でしたテーマの作品は国内外の名作と言われる短編で複数あるのですが、どれも今読むと見劣りします。それらと比べるとこの作品は「実は人肉でした〜!」の一撃に頼ってないので(なんせタイトルで既に言ってますし)面白く読めます。
ココナットの実 ★3.0
市内で発生した爆弾事件の犯人が未だ捕まらず世間を騒がせる中、その犯人である女が自供書を書き残すという形式で語られる短編。
ここまで読んでると「夢野久作の作品に出てくるヤバい女」には一定のパターンがあることがわかってくるのですが、この犯人はその夢野久作によく出るヤバい女の典型でありながらさらに先鋭化させたようなキャラクターをしています。
爆弾事件のあったことだけを知らされた上でそこに至るまでのことが語られるのを読んでいくので「何があったのか」という興味で読んでしまうのですが、それよりはむしろヤバい女のキャラクターを楽しむ話でした。
戦場 ★4.0
本作は解説でも書かれている通り「掛け値なしの反戦小説」です。
瓶詰地獄や脳髄地獄(ドグラ・マグラの中国語名)を描いた夢野久作がその一流の筆力をもって戦場という地獄を著しています。
というと敬遠する向きもあるかもしれませんが、心配ご無用。本作にはメッセージをあからさまに押し出すような不粋はありません。
夢野久作には人間性の曲がり角とでも言うような極限の状態を描いた名作がいくつもありますが、本作もまたその列に並ぶものになっています。
夢野久作の書くホラー(というのも物凄く乱暴な分け方ですが)は大きく二種類に分けられると思います。
ひとつが「狭いホラー」。追い詰められて逃げ場もないような状況、多くはクローズドな空間で展開するホラーです。田舎や精神病院、船内や炭坑などがよく舞台になっていますね。熱病に犯されたような描写や読み心地があり、「熱いホラー」とも呼べると思います。
そしてもうひとつが「広いホラー」。前者とは逆に行くあてもない状況で、取り残された荒野の広さが強調されるようなホラーです。この巻に収録された「氷の涯」が代表的ですが、この「戦場」もこっち。ゾッと凍えるような「冷たいホラー」とでも言うべき戦慄を描きます。
「狭い/熱いホラー」の方は上述のドグラ・マグラや瓶詰の地獄をはじめとして有名な作品が多いですが、「広い/冷たいホラー」の方はまだ埋もれている良作が多いように思います。