24/09/12 【感想】いまだ成らず 羽生善治の譜

鈴木忠平『いまだ成らず 羽生善治の譜』を読みました。

今年(2024年)刊行された本書は、タイトル99期を誇り30年以上将棋界のスターであり続けた棋士・羽生善治の将棋人生をドラマチックに描いたものです。(なお本記事では敬称略とさせていただきます)

2021年、羽生は29期連続で在籍していた順位戦A級から陥落しました。30年の長きにわたって続いた「羽生時代」の終わりを感じさせる出来事でした。この年はプロ入り36年目で初の年度負け越しとなり、引退説も囁かれました。

しかし、引退どころか羽生は翌2022年にタイトル戦の挑戦者にまで躍り出る活躍を見せます。タイトル戦の相手は30歳下の藤井聡太。
本書はその誰もが夢見た決戦を追いながら、回想するように羽生の歩みを描いていきます。

かつての将棋界は五十歳にさしかかれば、第一線から退き、立会人や解説を務めながら師として振る舞うのが一般的だった。だが、羽生は違った。今なお、まだ何も成し遂げていないかのように戦っていた。

鈴木忠平『いまだ成らず 羽生善治の譜』

まず最初に描かれるのは1994年度の名人戦。
しかし、これは羽生の最初のタイトルではありません。初タイトルは1989年に獲得した竜王位。では、なぜこの名人戦が第1章に据えられたか。それは羽生の挑戦を受けた名人が米長邦雄であり、この対局が時代の移行を象徴しているからでしょう。

昭和の時代、棋士は勝負師で、対局とは人間性のぶつかり合いという性格を強く帯びていました。対局相手とは盤を挟んでいるとき以外でも「勝負」をしている、いわゆる盤外戦術も一般的だった時代。そんなアクを強く残し、「ツキ」を真剣に念じる勝負師が米長でした。
そんな将棋を「ジャスト・ア・ゲーム」と見切って合理性を持ち込んだ第一人者が羽生だったのです。羽生が米長から名人位を奪取したとき、将棋の歴史がひとつ進んだのでした。
そして本書は「羽生時代」を描いていきます。

ただ将棋は一人で指すものではなく、相手がいるもの。第1章がそうであるように、各章では羽生と対峙した棋士たちのドラマが雄弁に挿入されます。
将棋に人生を懸ける、すなわち将棋で頂点を取ろうとすることは、羽生と戦うことと同義でした。つまり棋士にとって羽生との戦いは必ず人生の剣が峰だったのです。(豊島将之の初タイトルのくだりとか超良い)
本書を読んでいると、それはある種の救いでもあったように感じられます。人生に一つの決着がつくということは、また新しい人生を始められるということでもあるのです。プロ棋界を追っていると「羽生とタイトル戦を戦って負かされると一時的に調子を大きく崩す棋士が多いが、その後一皮むけることも多い」ということがよく言われていて、実際見ていてもそう感じられます。

各章において棋士や関係者ひとりずつにフォーカスしてきた本書が終章でフォーカスするのは、もちろん羽生善治です。章題で「終わりなき春」と例えられた、どれだけ地位や名声を得ても年齢を重ねて時代が移り変わっても純粋に将棋に向かい溌剌とした好奇心をほとばしらせる姿は鮮烈な印象を残しました。

読んでいて改めて自分の中で思ったのは、「やっぱり羽生先生は僕のスターで大好きな棋士だな」ということ。
僕の中でプロ将棋に関する最も古い思い出は羽生七冠達成のニュースで、プロ将棋を見始めたときには既に羽生時代でした。羽生は常に将棋界の中央で輝き続ける一等星で、それゆえに「追う対象」にならなかったといいましょうか。自分の立ち位置を決めるとき、全天の中央が羽生であることは当たり前としてそれ以外のどこにポジションを置くかと自然に考えていました。

2018年に羽生が30年ぶりに段位で呼ばれるようになった…つまり所持タイトルがなくなり「九段」と呼ばれるようになったとき、「ああ、羽生先生って僕のヒーローだったんだな」と感じたことを覚えています。

本書に載っていることは、歴史上の出来事としては自分もメディアを通じて見てきたことばかりです。こんなに長くこの趣味をやってるんだなあと思うとともに、その楽しかった思い出を肯定してもらえたような、そしてまだまだ楽しめるんだとしみじみ嬉しくなるような読書でした。