24/03/23 【感想】セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点

セシリア・ワトソン『セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点』を読みました。

この小さな記号の歴史を知っていますか?
英文法の世界でいくたびも論争を巻き起こしてきた記号「セミコロン」。
・英文法家たちの仁義なき論争
・セミコロンのせいで酒も飲めない? ボストン中が大騒動に。
・終身刑か死刑か、句読点が生死を分かつ。
・句読点の使い方を指摘され、校正者にブチ切れるマーク・トウェイン
・難解すぎてまったく売れなかった『白鯨』における大量のセミコロン etc.小さなトラブルメーカーが巻き起こす波乱万丈の文化史!

セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点 | 左右社 SAYUSHA

本書のテーマはとりもなおさず「英語の文章におけるセミコロンという記号について」。ピリオドもコンマも英語の授業で習ったけど、そういやセミコロンは完全に雰囲気で使ってます。いやまあコンマも雰囲気で使ってますが…でもちゃんとオックスフォード・コンマはつけてるし…。オックスフォード・コンマがなにか気になる人は本書を読んでください。

さて、本書はまずセミコロンという記号の誕生へさかのぼります。他にも色々な記号が考案されたけどセミコロンは便利だったから使われ続けた、という話が面白かったですね。逆に「発案されたけど廃れた記号」なんかも本書に載っててこれまた面白い。
そしてセミコロンが使われるにつれ、そのルールを整備しようという人が現れます。…という一言だけでわかるかもしれませんが、すごくこう…生々しくてめんどくさい話が展開されます。

そしてルールの話から辿り着くのは「法律の条文に使われたセミコロン」の数奇なエピソード。セミコロンの解釈によって法律の解釈が変わってしまう、そしてそれをどう解釈するかで被告人が死刑になるかが変わってくるというエクストリームなお話。本書の白眉と言えましょう。

続く章では名だたる名文家たちのセミコロン使いを堪能した後、話は「そもそも文法規則とはどうあるべきか、どのように適用されるべきか」というところにまで展開します。
これは扱っているのが英語であるというのがポイントで、例えばアメリカのようなところでは正しい(とされる)英語を使えることがある種の権威になっていて、そして英語以外を母語とする人に対して正しい英語を教えてあげるということがアイデンティティに対する暴力性を帯びてしまっていたりするわけです。そういう意味でも英語の文法規則は一層取り回しに注意が必要だよね、という論点には目から鱗が落ちました。

確かになー、って思うんですよね。
僕は台湾に駐在していたとき仕事上のやり取りは英語でやらせてもらっていた…つまり同僚には僕と話すときには英語を使ってもらっていたんですけど、これはお互いに英語が母語じゃないのが気易かったと思っていて。変な話、相手が英語のネイティブスピーカーだったら、僕が何か言って通じなかったら100%僕のスピーキングのせいですし相手が何を言っているか聞き取れなくても100%僕のリスニングのせいじゃないですか。お互いに英語のネイティブじゃないことでこの極端な傾斜が生じなかったことはだいぶストレスを軽減していたと思っています。

閑話休題、本書はセミコロンにまつわるエキセントリックなエピソードがどれも面白く、また豊富な引用によって実際に議題に上がっているセミコロン入りの英文が見られるのも良かったです。このためか本書は全編横書きになっています。また訳者のフォローも非常に行き届いており、訳注の補足に助けられたことは一度や二度ではありません。

ただ個々の話はとても興味深いのですが、一冊の本として見るとセミコロンに関係のあることをどんどん盛り込んでいってPixiv百科事典のような膨らみ方と散らかり方をしてしまった一冊、という印象を受けました。
特に本書で最も紙幅を取っている7章「セミコロンの達人たち」では、前半こそ名文家たちがセミコロンの厳密なルールから逸脱しながらもセミコロンをうまく使って名文を紡いでいるさまを引用したりしているものの、後半に至るにつれてどんどん脱線が激しくなります。引用もどんどん長くなります。そうなってくると言葉遊びもだんだんうるさくなってきます。

というのを経て最後の章で「セミコロンの講演をすると、後でこっそりセミコロンづかいの罪を告白されたりするんです^^; ときどき、自分の専門は句読点の理論セオリーというより治療セラピーなのではという気分になっちゃいます(笑)」みたいなことを言われると「うるせ~~~~~~」というのが感想になります。なりました。
ある意味、本書の「セミコロンの規則がどうこうよりコミュニケーションが大事!」という主張を一番正面から感じられたということかもしれません。