22/12/19 【感想】蒼海館の殺人
阿津川辰海『蒼海館の殺人』を読みました。
前作『紅蓮館の殺人』はエラリー・クイーンの『シャム双子の謎』さながらの「山火事が迫る山中の館での殺人」という状況で名探偵の意義を追求した作品でした。(→前作の感想)
今作の、迫り来る洪水が連続殺人を押し流してしまわんとする状況はドロシー・L・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』を想起させます。また夏雄の「だってさ、おじいちゃんって殺されたんでしょ?」というセリフは明らかに『葬儀を終えて』のオマージュですね。そしてなんといっても本作が最も強く意識しているのは京極夏彦の『絡新婦の理』でしょう。
しかし、本作はその平成期の傑作をただ再生産しただけにとどまらず、令和の世に全力全開の「本格」を打ち出したパワーと情熱あふれる作品になっています。
文庫本600ページにわたる本作は家系図と見取り図つきの館で連続殺人が起きるという道具立てのみならず、一癖ある館の住人たちが皆「嘘をついている」というほのめかし、強権的にして高い知能を持った家主による推理合戦への参戦、傷つき真理の追求をあきらめた探偵とその再生、そして何階層にも張り巡らされた犯人の企みとその果てにある意外な真相などなど、ミステリファンの好物をこれでもかと詰め込んだ豪華ミックスグリルとして出来上がっています。
これだけ複雑な事件を描いていながら、並のミステリだと退屈になることもある聞き込みシーンが逆に最も読み応えのあるパートになっているのがすごい。折り返し地点以降は捜査と並行してどんどん絡まった謎が解けていくので、捜査パートが全く退屈にならないんですね。それどころか謎解きシーンというミステリの最も面白い部分がずっと続く。
後半のネタバレパートに書く種々の工夫と併せて、「読ませる技術」が非常に高く、複雑さが全く読解を妨げず、全て面白さに昇華されています。
また前作『紅蓮館の殺人』で欠点となっていた「作中の探偵が体験した"過去の事件"が設定上のものでしかないためキャラクターのバックグラウンドとして位置エネルギーをあまり持たない」という点も、本作では解決されています。前作そのものが"過去の事件"として実在しているので、説得力が段違いなのです。
「新鋭の最高到達地点」のキャッチフレーズも全く誇大広告ではない、前作をあらゆる点で強化した非常にパワフルな傑作です。
各種ミステリランキングでも上位にランキングされ、「2021本格ミステリ・ベスト10」では1位になっているというのもうなずけますね。いかにも「本格ミステリ・ベスト10」好みの作品だと思います。
あらすじの下はネタバレ感想となります。
ここからネタバレ
真犯人による操り、推理の誘導、とくれば「偽の手がかり」がつきものですが、本作は手がかりが「偽の手がかり」にならないよう巧く組み立てられていると思います。これによって本筋が後期クイーン問題の谷へ必要以上に落ち込んでしまうことを避けています。
真犯人・正の奸計によって生まれた手がかりは多くあるのですが、それらのほとんどは一抹の真実につながっているもので、真相への道筋から外れるものではありません。
手がかりを真相へ至るためのハシゴとすると、2階へ繋がるハシゴも3階へ繋がるハシゴも本物ではある。しかし真犯人は4階にいる。各フロアが「偽の真相」になってはいるものの、ハシゴそれぞれは真相へと繋がる道筋の一部なので「偽の手がかり」にはなっていないのです。
「本物の手がかりと偽の手がかりの分別」という面倒な作業がないのでミステリとしてぐっと読みやすいものになっています。
(もっとも、これは真相へ至るまでのドンデン返しを含む組み立てを「第N段階」と表現した書き方が巧みだったと言うべきかもしれません。第一の推理・第二の推理と呼ぶのでなく第一段階・第二段階と表現することで上述したような階層構造を意識させることに成功しています。)
また、非常に多くの偶発的な要素や不確かな操りで成り立っているこの事件について「真犯人はもっと多くの仕込みをしていてその一部が成立したにすぎない」という解釈を与えているのはうまい方便だと思いました。
とはいえ、黒田の来訪と罪体を科学捜査に晒さないための災害は最低限必要になるので、この両者のタイミングが重なったことはだいぶ偶然に助けられていると思います。
しかし上述の方便はいわば「探偵の謎解きは真犯人の犯行計画すべてを推理するものでなく、実際に起ったことを推理するもの」という宣言です。この災害は作中で実際に起こったことなのですから、探偵がそれを所与として推理することには読中違和感を覚えませんでした。
昭和に生み出され平成に再発見されたコテコテの「本格」を、現代の技術でリファインし、巧みにアク抜きをして、現代のエンタメとして何段階もレベルアップさせた作品になっていると思います。
本作以降、令和の世で書かれる「本格」は本作が基準になる、そう予感させる作品でした。