24/05/04 【感想】僕が答える君の謎解き
紙城境介『僕が答える君の謎解き』を読みました。
「無意識下で推理するため真相しかわからない」というヒロインの推理に対して結論へ至るロジックを推理するという趣向の、クラシカルな手がかり&ロジックものの本格ミステリ短編集です。
裏表紙を見ると「本格ラブコメ ✕ 本格ミステリ」と書かれており(本格ラブコメって何?)なにするものぞと思ったのですが、読んでみると確かにこれは本格ラブコメ✕本格ミステリでした。
ラブコメということでいわゆるサービスシーンみたいなのがあるんですが、そのサービスシーンで得られた情報が手がかりになっていたりするんですよ。あとはライバルヒロインが犯人だったりもする。あ、これはネタバレにはなりません(犯人は章の早々に明かされるので)。
確かにこれはラブコメと本格ミステリの直積だと感じました。
さて、ミステリとしての本作の特徴はヒロインの明神凛音が「真実しか解らない」ということです。
似た趣向をもった麻耶雄嵩の『さよなら神様』という大傑作短編集では、探偵役の「神様」鈴木が各話の1行目に犯人を名指ししていました。これは彼が全知全能の神であるがゆえに真実を知っており、犯人の名前だけを教えているというものでした。
一方、本作のヒロインは無意識下の推理で神の啓示を受けたかのように真相に辿り着く、ということになっています。この無意識下とはいえ推理で真相に至っているというのがポイントで、つまり「真相に至った時点で彼女はその推理に必要な情報をすべて持っているはずだ」という条件が生まれるんですね。
これって古式ゆかしい「読者への挑戦」と同じコンディションですよね。「読者の皆さん、あなたは探偵と同じ情報を得ています。探偵はこれらの情報で真相を導きました。あなたは推理できますか?」という。
読者への挑戦は実は「探偵の推理を推理してください」である、というのはよく言われることですが、本書でヒロインの相棒役となる主人公が行う推理の営みはまさにこの「推理を推理する」ということになります。
この構成によって手がかりロジックもの特有の問題を回避していることも見逃せません。手がかりから論理を組み上げて真相を推理しようとするときに付きまとうのが「実は気づいていなかったり見つかっていなかったりする手がかりが他にあって、それも含めると真相が変わってしまうという可能性を否定できない」という問題です。
ですが本作ではヒロインの天啓推理が真相らしいことがまず保証されていると同時に、「その推理に使われた手がかり」の範囲が確定されています。それによって上記のような問題を考えなくて済むようになっています。
この問題ってゴリゴリに本格ミステリをこすらなければ出てこない問題ではあるんですけど、本書を読んでると結構このフレームワークによって推理を楽にしていると感じるんですよね。普通の推理だと手がかりのあらゆる解釈を考慮しなければいけないのに対して、本書だと真相は分かっているのでそこに繋がる推理さえ一本通ればいいというのも大きい。
細かい手がかりベースの話をしていると細かいところが気にならないでもないのですが(第2話だと職員室に鍵を借りに行ったなら最初に教室に入ったことがバレバレじゃないかとか第3話だと体育倉庫の中にある懐中電灯を使おうともしないとか)、こういうのはやろうとすること自体が素晴らしい。現代でこういう手がかりベースのロジカルなミステリをやるためのフォーマットをうまく作り上げた意欲作です。