21/04/29 【感想】ディレイ・エフェクト

宮内悠介の『ディレイ・エフェクト』を読みました。
『カブールの園』系の、純文学路線の宮内悠介。と思ったらカブールと同じく文藝春秋で、芥川賞候補作品にもなってたんですね。そこらへんの外枠を全然意識しないで読んでいたのですが、言われてみれば確かにって感じ。

表題作は、現代の東京に戦時下の東京が重なって見えるようになってしまったという設定の、SFがかった話。実際の過去の状態が輪唱のように重なっている、それを作曲技法としての「ディレイ」のようだというのがタイトルにもなっています。
実際の過去なので何月何日にどこへ空襲があっただとかの記録は全部残っていて「なにが見えるか」はマクロレベルでは大まかにはわかるものの、じゃあ我が家ではその日なにがあったかといったミクロレベルまではわからないというのがミソ。
ただ単に戦時下の生活を描くのでなくそれが現代の生活と重なったときに起こることを描いたのが面白い作品でした。

続く短編「空蝉」は収録作中で一番好きだったかも。
『盤上の夜』や『彼女がエスパーだったころ』のようなルポタージュ形式の文体で、これ結構好きなんですよね。
話としてはSF要素は一切なく、あるカルト的人気を誇ったマイナーバンドの足跡を追う話。ものすごく大雑把に言うと「盤上の夜」や「千年の虚空」(いずれも『盤上の夜』収録作品)のボードゲームを音楽に差し替えてできた感じ。
本編を通して迫っていくバンドメンバーの死の真相は平凡なものでしたが、その平凡さそのものがメッセージになっているというか、このルポタージュの収束としてはこれ以上ない後味をもたらしていると思います。

「阿呆神社」は…うーん、いまいちピンとこなかったかなあ。

3作とも東京のある町を舞台に、華やかさはないものの体温のある話で、それでいて文章から「人間を描こうとしている厭味」が漂うことなくドライですっきりした読み口になっているのがよかったです。

いまの東京に重なって、あの戦争が見えてしまう――。
茶の間と重なりあったリビングの、ソファと重なりあった半透明のちゃぶ台に、曾祖父がいた。その家には、まだ少女だった祖母もいる。
あの戦争のときの暮らしが、2020年の日常と重なっているのだ。大混乱に陥った東京で、静かに暮らしている主人公に、昭和20年3月10日の下町空襲が迫っている。少女のおかあさんである曾祖母は、もうすぐ焼け死んでしまうのだ。
わたしたちは幻の吹雪に包まれたオフィスで仕事をしながら、落ち着かない心持ちで、そのときを待っている……。
(文藝春秋HP内作品ページより)