21/02/17 対麻耶雄嵩宣戦にうってつけの一冊

「ねえ、先輩」
 学校を出て駅まで向かう帰り道、ふと訪れた会話の切れ目に差し込むように未緤が言った。
「私、麻耶雄嵩が読みたいんですけど」
「ああ、全部持ってるからどれでも貸してやるよ」
「本当ですか!? すごい、さすが先輩! 便利!」
 最後の一言が気にならないでもなかったが、ひとまず褒め言葉として受け取っておく。
「明日持ってきてやるよ。どれがいい?」
「んー……」
 未緤は人差し指を口元に当てて小首を傾げ、しばし考えた後、
「先輩が選んで下さいっ。麻耶雄嵩デビューに、おすすめの1冊!」
 まんまるな瞳をきらめかせ、上目遣いにのぞき込んでくる。先週本屋で見たのと同じ目の輝き。あのときあの棚の本が見ていたのと同じ光景を、目の当たりにしている。
 ……いけない、見とれている場合ではない。
「そうだな――、」

   *   *   *

重要そうな選択肢が出たので枝セーブを作った賢明な皆様、こんにちは。
そう、オタクが一番好きと言っても過言でない、「入門者に何勧めるか問題」です!

『翼ある闇』から順に読ませるも自由!
『貴族探偵』からあの傑作ドラマへ誘導するも自由!
『木製の王子』でドン引きされるも自由!
『神様ゲーム』でドン引きされるも自由!
彼女の生殺与奪の権はあなたが握っているのです!

しかし熟考は必要です。『翼ある闇』から順に読ませようとした結果1冊目で早速脱落されては元も子もありません。なにせモノが麻耶雄嵩。慎重に見極める必要があります。

勧める相手は既にミステリ沼に片足を、それもくるぶしあたりまで突っ込んでいるので「はじめてのミステリ」を選んであげる必要はありません。というかはじめてのミステリで麻耶雄嵩を読ませるのは離乳食に蒙古タンメン中本を食わせるような行為なのでやっちゃいけません。

多分いま一番有名な麻耶雄嵩作品は『貴族探偵』でしょう。なんといってもフジの月9でドラマ化したのがでかい。いまになってもマジであれなんだったんだろうと思ってしまいます。突然麻耶雄嵩が月9でドラマ化してしかもめちゃくちゃ麻耶雄嵩テイストにあふれた映像化というあの経験は、あまりに都合が良すぎて麻耶雄嵩オタクの集団幻覚なのではないかと疑ってしまいます。視聴率があまりよくなかったというところまで麻耶雄嵩オタクが抱きそうな幻想です(言いがかり)。
映像化以外でも『貴族探偵対女探偵』が本格ミステリ・ベスト10で1位をとっていたり『貴族探偵』に収録の「こうもり」が巷間で高く評価されていたりと、取っ掛かりとしての魅力は十分。
「こうもり」以外の収録作品もソリッドな短編ミステリが粒ぞろいで全体としてもまとまりよく、さらに探偵という機能に一捻り加えてくる麻耶イズムがしっかり搭載されているという点も入門に良さそう。
もし相手がまだ「こうもり」を知らないならぜひノーガードで食らってもらいたいですね。というかミステリを貸すなら何を貸すにせ余分な情報を与えるべきでない。
ただ、ソリッドにまとまった「こうもり」以外の短編が若干おとなしいというきらいはあるかもしれません。彼女のようなお年頃はもっと刺激的なミステリを求めて麻耶雄嵩に漂着したのではないかと。

ガッツリした刺激的な麻耶雄嵩体験を求めるなら『螢』あたりどうでしょう。
オカルトサークルの大学生たちが山中のペンション「ファイアフライ館」に集まり、もちろんそのペンションは過去に惨殺事件があってしかも未解決。そして案の定館は大雨で外界と遮断され、案の定メンバー内で殺人が発生。俺たちだけで事件を解決するしかないとサークル内でふたりの探偵志願者が立ち上がり、事態は異様な雰囲気に…。
同時期に発生していた連続殺人や過去の惨殺事件で残された「螢が止まらない」という謎のフレーズも絡んでいよいよムンムンに本格してます。
ケレン味たっぷりの謎から企みに満ちた展開と結末、ガッツリと本格ミステリを平らげたい向きにはぴったりの一冊と言えるではないでしょうか。
ただし良くも悪くも新本格の手癖がモリモリな作品のため(それでも他の長編と比べるとだいぶ抑えめなのですが)相手の嗜好は事前にちゃんと把握しておかないといけませんね。

とかとか言いつつ実は僕の中で初麻耶雄嵩として勧める作品はもう決まっていたりします。それは『メルカトルかく語りき』!
メルカトルを読まずして麻耶雄嵩を語るなかれ。この短編集は麻耶雄嵩の最も面白い短編集だと思っています。
『この先行き止まり』の立て札の先に『ここが行き止まり』の札を立てた」と評される、ミステリの中核をなす"ある要素"について極限を攻めた空前にして絶後の珍問が並ぶ短編集です。
作法はしっかりしているけれどお行儀はよくないミステリです。でも面白いかどうかで言えば、最高に面白いです。最後の短編「密室荘」は全短編ミステリから好きなのを5本選べと言われても入れます。
麻耶雄嵩の作品はどれも普通のミステリに一捻り加えられているのですが、この短編集は「ひねり部分がわかりやすい」点が入門にも向いていると思っています。マニアが喜ぶ趣向というのでなく、推理小説を読んだことがある人なら必ず「なんだこれ!」となれるような趣向。
麻耶雄嵩デビューにぜひおすすめしたい一冊です。だって、なんといってもめちゃくちゃ面白いですもん。

…という話をするための回で、冒頭部分は完全にノリだけで書いたんですが、ここでふと思ったのです。
ギャルゲ的には正解は『夏と冬の奏鳴曲』なんじゃないか、と…。
『夏と冬の奏鳴曲』を読ませれば、あの作品のあの終わり方のおかげで、真相はどうだったのかと語らうイベントにつなげられるのでは…?

to be continued...

「この先行き止まり」の立て札の先に…の評は黄金の羊毛亭様よりお借りしました。