22/12/31 【感想】靴に棲む老婆〔新訳版〕

エラリイ・クイーン『靴に棲む老婆』の新訳版を読みました。8月に『ダブル・ダブル』出たばっかなのに!早い!!

さて、何よりもまず『靴に棲む老婆』はめちゃくちゃに面白い傑作です。
僕はクイーン作品を割と短い期間に一気に読んだんですが、その際に自分の好きな順にランキングをつけながら読んだんですね。そのトップ10がこちら。

①Yの悲劇
②災厄の町
靴に棲む老婆
④中途の家
⑤Zの悲劇
⑥アメリカ銃の秘密
⑦十日間の不思議
⑧ハートの4
⑨エラリー・クイーンの冒険
⑩フランス白粉の秘密

40冊ほど読んだ中でトップ3に入れています!
この作品、とにかく読んでいて面白いんですよ。本作の魅力は色々あって、今回の新訳文庫版での「クイーン前・後期の長所を兼ね備えた傑作」という惹句は流石なるほどと思う上手いまとめ方なんですが、特に事件を二転三転させる物語の展開が小説としての面白さにもミステリとしての面白さにも直結しているところが「推理小説というエンターテイメント」の大成功例になっていると思います。

製靴業で成功したポッツ家の女主人コーネリアには子供が6人いる。先夫の子3人は変人ぞろい、現夫の子3人はまともだがコーネリアによって虐げられていた。ある日、名誉毀損されたと長男が異父弟に決闘を申し込んだ。介添人を頼まれたエラリイは悲劇を回避するため一計を案じる。だがそれは、狂気と正気が交錯する恐るべき連続童謡殺人の端緒に過ぎなかった。本格ミステリの巨匠、中期の代表作が新訳で登場。

靴に棲む老婆〔新訳版〕 | ハヤカワ・オンライン

さて、本作の話をするならなんと言っても第一の事件の珍妙さを語らないわけにはいかないでしょう。

あんまりネタバレにならない範囲ではあるんですが、それでも知らない方が楽しめることに違いはないのでこの先を読まれる方は注意してくださいね。

ぼくたちは銃を撃った男を目撃したにもかかわらず、だれが殺人犯かを知らない!

エラリイ・クイーン『靴に棲む老婆〔新訳版〕』

上のあらすじに「ある日、名誉毀損されたと長男が異父弟に決闘を申し込んだ。介添人を頼まれたエラリイは悲劇を回避するため一計を案じる。」とありますが、この一計とは決闘を行う前に両者の銃に装填された実包を空包とすり替えてしまうというものでした。決闘はさせるが被害が出ないようにしようという策なんですね。
無事すり替えをすまして決闘を迎えたのですが…なぜか実弾が発射され、異母弟は殺害されてしまうのです!
何者かがすり替えた空包を実包と入れ替えたが、それが誰かわからない…つまり「目の前で殺害現場を目撃したにもかかわらず『犯人』がわからない」という異常な状況が成り立ってしまったのです。
しかも、空包とすり替えられたことを知っている者は誰一人としてすり替え後に銃に触れる機会がなかったのです!

しかもこれはほんの端緒に過ぎず、このような虚々実々入り乱れる狂った事件が相次いでいくのですから、このミステリは何よりも歪んでいて何よりも面白いものになっているのです。

以前読んだ情報だと『靴に棲む老婆』の文庫の版権は創元が持っていたそうですが、買い取って(この表現で正しいのかわかりませんが)新訳版を出してくれたんですね。このクイーン新訳シリーズ、とても好調なようで嬉しい限りです。
しかも本作の刊行告知のnoteを見ると。

それでは、次のクイーン円熟期新訳でまたお目にかかれますように。続報をお待ちください!

とあるのです!まだやってくれるんですね!!やったー!!ばんざあい、越前先生ばんざあい。
『ハートの4』!『ハートの4』お願いします!
『ダブル・ダブル』『靴に棲む老婆』と並べてクイーン三大ヒロイン盛り合わせにしましょうぜ!
『ハートの4』で米澤穂信先生にコメントもらってください!『遠回りする雛』は『ハートの4』なんです

…さて気を取り直して、以降は全編通じてのネタバレ感想です。


ここからネタバレ


個人的に、本作を魅力的な作品たらしめているのはコーネリア・ポッツ、あのクソババアだと思います。
遺言状での罪の告白で一気に景色が変わるところとか読んでいてググーッと引き込まれましたね。
そしてこのクソババアの何がいいって、結果的にこの遺言状の存在が、一族を破滅に導こうとしたチャールズ・パクストンの計算を狂わせて敗北へ導いてることなんですよね。コーネリアの最後の執念が結果的に一族を貪ろうとした外敵を退ける決定打になる、すごい筋書き。

以前読んだ時のおぼろげな記憶だと遺言状は真ん中ぐらいに出てくる印象だったんですけど、本編3分の2くらいのところだったんですね。そしてここからは最後まで怒涛のドンデン返しの連続になります。

コーネリアが殺害したとする偽の自白
→サーロウが犯人だとする推理
→チャールズが真犯人だとする推理

が次々と連鎖する終盤は「ミステリで一番面白いのは謎解きシーン」の法則に従ってずっとクライマックス、ずっと面白い。

一般的なドンデン返しモノと違って実行犯がサーロウであることに違いはないため、実行犯特定の鮮やかなくだりは操りの構図を知った後でも色あせないものです。

この作品までのクイーンのドンデン返しものは、ラストの真相の前に行なわれる仮の推理が鮮やかであれば最後の真相が明かされたときに「途中の間違った推理のほうが鮮やかだったな」と水を差されるような気持ちがするし、逆に仮の推理が鮮やかでなければ「間違うためにただ置いただけ」の退屈なものになってしまうというジレンマがありました。(『ギリシャ棺』とか最初の推理の方がカッコ良くないですか?)

ところがこれは真相が明かされても実行犯がサーロウであることは間違いないし、二挺拳銃の美しいトリックもちゃんと真相の一部をなしているのです。
この方式は本作以降も継承されるのですが、クイーンの得意とする「覆される探偵の推理」のプロットは今作でひとつ上のステージに行ったと考えています。そうした意味でも記念碑的な作品です。