24/10/12 【感想】積ん読の本

石井千湖『積ん読の本』を読みました。

本を読むよりも買うスピードが上回ったまさにその瞬間から「積ん読」は始まる。部屋の片隅に、1冊、また1冊と積み上げられる「積ん読」の山を見て、人は焦り、罪の意識を覚え、自嘲するのだ。
…(中略)…
写真に収められた圧巻の「積ん読」の山と、「積ん読」を語るその言葉を一読いただき、読書家諸氏におかれては、ほっとするなり、笑うなり、共感するなり、感心するなり、呆れるなりしていただきたい。

積ん読の本 - 主婦と生活社

「積ん読」は日本では20世紀初頭から用例が見られるものの海外にはないそうで、そのまま「TSUNDOKU」として外国で使われているのだとか。MOTTAINAIみたいな。
僕はかねてから「積ん読は心の余裕」を標榜し、他方「心の積ん読」という概念も唱えているのですが、なんか積ん読ってこういうふうに理屈をこねたくなるんですよね。
本書は積ん読家の人たちによる蔵書の山の写真とそれが形成された過程、そして彼らがその山をどう捉えているかが語られている本です。

まず単純に写真がめっちゃいい! 僕、個人の家に本が集まり貯まりまくって溢れている様子が大好きなんですよね。単純に他人の本棚を見るだけでも楽しい上に、「育った」とも表現すべき本の地層を見るともうワクワクしてきちゃいます。縄文杉とかの巨木を見たときと同じタイプの畏敬の念。映画やドラマなんかでも本棚が出てくるとそっちに目が行っちゃうんですけど、これは共感してもらえます…よね?

個人的に一番好きだった積ん読はゲームデザイナーであり文筆業や大学教員でもある山本貴光氏の本棚。彼の積ん読論も好きでした。あるニッチな分野のことを知りたいとなったときに大きな書店に行くとその分野の書籍がまとまった棚があり、急所となる本と「その周辺」の本も固まっているがゆえに分野の全体像を見渡せる、という感覚がすごく腑に落ちました。物理書籍はそれ自体がインデックスとしての機能を持つ、積んであるだけでも機能する、という説はなるほどでしたねえ。自分の図書館を作るとは言いえて妙。
背表紙の機能についてここまでちゃんと考えたことってなかったかも。考えてみると背表紙が並んだ本棚から一冊の本を取り出し詳らかな記述を見る、というスケールの変更をここまでダイナミックかつ自在に行えるインターフェースって、すごく洗練されています。

かといって物理書籍礼賛ばかりの本というわけではなく、1万冊の蔵書を裁断してスキャンし電子化(いわゆる「自炊」)した人がその体験を語っていたりしていて、これまた積ん読の形。また「昔から字の本はほとんど読まないが積ん読はしている」という人も出てきたりしていて、とても多角的に積ん読をとらえています。

読書委員の話も良かったなあ、作家・声優の池澤春菜氏は幼少の頃からめちゃくちゃ本を読む人だったそうですが、あるとき読書委員…つまり日曜版の書評欄を書く人になったそうな。この読書委員というのがすごく楽しそうで。
委員が各自興味を持った本を持ち寄ってプレゼンしあい、その本を回しながら自分が読んでみたいと思った本が来たらふせんをつけるんですって。それでふせんをつけたのが自分だけだったらそのまま持って帰れて、複数人がつけたら全員に後から本を送ってもらえると。このシステムのお陰で自分の興味以外の本もたくさん家にある、という話をしていてとてもうらやましかったです。読書委員同士で興味を持ち寄って紹介しあえるのも興味をもらって本ももらえるのも、うらやましすぎる。