軽音の同窓会
もう10年も前の話になる。
高校の頃、軽音楽に本気だった。
数学の時間も、日本史も、現代文の授業をしてる時にだって作詞作曲をしていた。
その頃から好きなものは好きな時にやりたいと感じていたので、好きな教科はそこそこ取れて、嫌いな教科はダメダメだった。
授業が終われば、いつものスタジオに駆け込んで、新しい歌詞を書いてはコードを試した。
たくさんの曲を作ってライブをした。
3人のバンドは音圧が低くなりがちで、ボーカルのメロディが楽器になるということをわかった気になりながら毎日曲を作っていた。
ボクらは本気で曲を作りたかったし、演奏がしたかった。スタジオにこもりっきりで曲ができるのを楽しんだし、頭がおかしくなるくらい歌詞を反芻して、吐き出しては戻して、ここでもちまちま言葉を考えていたのかなと振り返る。
そんな高校を卒業した。
ボクは音楽から離れてしまった。
音楽には救われていたし、あの時聴いていた曲たちがボクを作っている。それでもボクは新しく曲を作るほどの元気も、感情も、なにかエネルギーの塊のような音楽の魂を整理した気になっているのかもしれない。
社会人になって3年が経ち、仕事の内容も変わって、軽音の部長から同窓会のお誘いが来た。
状況が変わってしまった今、ボクは音楽の話ができない。こころなしか欠けてしまった選りすぐりの思い出話をかき集めて、今日。その現場にきた。
ボクらは駅の改札前で待ち合わせをした。少し待って声をかけられた方を見ると、見慣れた顔が3人分並んでいた。10年も経っていないような感じがするのはボクだけだろうか。
なぜこんなにもノスタルジックになるのか。音楽を続けていなければ10年後に会うことのなかった人たちと再会している。
ボクはあの時の絆を信じて、いまお酒を酌み交わそうとしている。ひとつひとつ言葉を理解しはじめると、誘われたことも尊ければ、振り返るようになっている自分のコトバの力も強く感じる。
実のところ、同期との思い出などとうの昔に消え去ったものだと勘違いしていた。
1人で作詞作曲にのめり込んで、受験から逃れ、これしかやれることがないと孤独感に苛まれることもあったような気がする。
そんなやるせなさを歌詞にもこめていたのだと思うと、なんとも甘酸っぱいし、こしょばゆい。将来の感情に向き合わず、今どう感じるのか?を必死にぶつかっていった賜物だと思う。今思えばはずかしいです。
そんな思い出たちが、本気で向き合った時間として刻まれていて、物覚えの悪いボクですらすんなりと記憶の箱がパカっと開いたのだ。
覚えようとしていないけど、それでも本気で向き合ったことが魂として刻まれている。そんなふうに感じる。
またここにこよう。この人たちにそのとき思ったことを伝えよう。対峙したひとと重なる何かを必死で考えて話そう。少しでも心に残るようにしてみよう。
向き合い方はきっと大人になって増えていくものだから、答えを探すんじゃなくて本気で考えることに意味があるんだと思うんだ。