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漢字ノート其ノ三『硯』
硯
ケン、ゲン
すずり
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硯箱(すずりばこ)
硯池(ケンチ)
硯滴(ケンテキ)
硯田(ケンデン)
硯北(ケンポク)
筆硯(ヒッケン)
http://kakijun.com/kanji/kotoba/786f.html
陸と海を辿る
気を整え、墨を磨る行為には独自の文化が確立されている。
美しい墨は、弱い力でゆっくりと磨ることで作られる
https://syoyu-e.com/article/column/tools_how/sumi-surikata
墨が海に落ちていくまで、ゆっくりと磨り続ける。
同じ間隔で、同じ強さで、淡々と続ける。
粘り気が出て、海に伝うまで、濃度を一定にする必要がある。
必要な墨の量になるまで、これを繰り返す。
目的は墨を磨ることではないはずだ。
墨汁を習字や書道で扱うための最初の所作。
いわば挨拶の一種なのだろう。
墨は水と併さり、墨汁と化す
墨単体では書道は成り立たない。
水で練り上げた墨汁で筆をなぞらせることができて初めて書道である。
水がなければ、本来の力は発揮されない。
同じく、墨がなければ墨汁にはなり得ない。
どちらかが欠けても、墨汁になりえないのだ。
ただ、不思議なことに、少なくても成り立つし、多すぎても成立する。淡墨、濃墨と呼ばれ、儀式の上では必要不可欠である。
水は変わらず変化する
液体、固体、気体、形は変化する。
身近にあるが故、変化し続ける物質として捉えてはおらず、
人間にとって水分として摂取し続けるだけになっている。
雨になり、植物を育て、動物たちを巡り、やがて人間の糧となり、また排泄され循環していく。
無くてはならないが、どこかで蔑ろにしている。
文字を司る上で、必要なのは水である。
漢字を通した僕なりの見解
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