お暇を作る
noteのタネを書く時、待ち時間とか暇になった時がおおいなと。
暇なくらいがちょうどいいという自然体が関係していそうなので考察してみる
暇なくらいがちょうどいい
ナチュラルでいること、本来の自分に戻るための大切な時間だと思っています。人によってはジャーナリング、瞑想、アガサクリスティは自然体でいられる時間を”食器を洗っている時間”として名作の内容を考えていたんだとか。
忙しさに追われていると、どうしても自分のペースを見失ってしまいます。だからこそ、暇な時間があることが、心と体を整え、次のステップに進むための準備をしてくれているのです。
「暇なくらいがちょうどいい」と感じるのは、決して怠けているわけではありません。むしろ、それが自然な状態、”ナチュラル”なのです。この感覚を大切にしたい。
「お暇をいただきます」という表現
「お暇をいただきます」という表現を使うことがありますが、ボクはこれに少し違和感を感じる。
自分の時間を、まるで他人から許可をもらって使っているような感覚。
それは、本当にあなたの時間をリスペクトして伝えたかった言い方でしょうか?
時間はあなた自身のものです。誰かに許可を求める必要はありません。
自分の時間は自分で管理し、主体的に使うことが大切です。
もっと自分の時間に対して、自信を持っていいと思うんです。
自分の時間を主体的に使う
暇な時間ができたら、「何かしなければ」と焦るのではなく、その時間をどう使うか、じっくり考えてみてください。
リラックスする時間かもしれないし、新しいアイデアを探す時間かもしれない。どちらにしても、あなた自身がその時間をどう使いたいかを決めるべきです。
忙しさに支配されるのではなく、暇な時間こそが成長する時間です。気づきを得られるのはこういった”ふとした瞬間””余裕のある時間”だったりします。
今、あなたがやるべきことは、自分の時間をもっと大切にし、主体的に使うことです。それが、あなた自身の充実感や次のステップに繋がる鍵になると思います。