他者依存と他責で幸福感を覚える人は皆無
印象に残るセリフ
私は「男はつらいよ」が大好きで全作を繰り返し観ている。その中でタコ社長が「大企業の幸せは中小企業の不幸だ」と愚痴るシーンがある。その社長に対しおいちゃんが「お前はそうやって一生大企業を呪い続けて過ごすのか。」と呆れたように言葉を返したのが非常に印象的であった。
ちなみにタコ社長は、全作に出演しているが、必ずといっていいほど愚痴をこぼしている。そのほとんどが大企業に対してであったり、税務署であったり、銀行であったり、全て他者を対象とした愚痴である。
身近の例に置き換える
2度めの離婚後、すぐに妻と巡り会ったわけではない。その前に何人かとお付き合いをしている。そしていずれも破局した。年代もバラバラ、年上も年下もいた。私と同じく婚歴のある人もいたし、そうでない人もいた。シングルマザーもいた。しかし破局した人は「他人への依存度が高い」、「ネガティブな事象を全て(ほとんど)他責にしている」ことが共通している。
とある女性でフラダンスを趣味にしている人がいた。何度かパフォーマンスを観にいったこともある。その一環で年に2回はフラ仲間とハワイに行くという。それは彼女の大切な趣味だから構わない。しかし、こちらの趣味には全く理解がなかった。無関心であればいい。そうではなくケチをつけるのだ。
私の趣味の一つに大相撲観戦がある。今でこそチケットが取りづらくなり、ライブ観戦の機会が減ったが、東京場所は必ず観戦していたし、とある部屋の後援会に入り、たまに千秋楽の打ち上げには顔を出す。しかし彼女曰く「それならハワイには〇回行ける」だの、「力士の顔ぶれなんて変わらないんだからそんなにしょっちゅう見ても意味なくない?」と口を挟んできた。
生計を一にしていないのに?
私の趣味に口を出すことに煩わしさを感じていたある日、彼女と少し中長期的なライフプランの話になった。その時、彼女が言ったこと「フラは私のライフワークだから口を出して欲しくない。」だった。いい機会だと思い「これまでも口を出してないし、これからも出す気ない。だから自分の趣味にも口を出さないで欲しい。」と水を向けたところ、金銭面的にもったいないと反論してきた。よくよく深堀りしてみると、彼女の頭には私と結婚して、フラ関連の趣味を経済的にもサポートして欲しい思惑があったようだ。そのためにはこちらの趣味を犠牲にすることに何とも思わない、依存度ぶりに即別れ話を切り出したのはいうまでもない。
わがまま、気まま、自由気質を売りにするのはいいが
これまでお付き合いした中で、「一度しかない人生なんで、わがままに生きてきました」的な売り文句の女性が何人かいた。自分に正直に生きることは
非常に大切なことと思う。しかし、共通して「わがままに生きている」「好きに生きている」、そんな自分を受け入れてくれる人が希望と言いつつ、相手がわがままに好きに生きていることに不寛容な人たちであった。
自分のやりたいことには時間も労力も割く、そのことで彼氏と時間が合わなくても仕方ないと割り切るのに、こちらが好きなことに時間を割き、結果、会う時間が取れないことには不機嫌モードなのである。その矛盾点をつくと「女はそういうものだから。」と感覚的な回答でうやむやにすることを私は許容しない。
妻の場合はどうか?
実は妻と私は趣味も感性も全く合わないと思う。妻のジム通いに付き合うことはあるが、妻がスタジオレッスンに夢中になっている間、私はひたすらスイミングと別々の時間を過ごす。数年来稽古している武道に妻も体験参加したことがあるが「上下関係を殊更重んじる礼節になじめない。」と入門には至らない。大相撲観戦の時はなんと寝ていた。それでも私は妻の趣味に付き合うこと、妻が私の趣味に無関心であることに不快にはならないのは、彼女が自分の感性には合わない価値観でも相手にとって大事であれば尊重するということが前提にあるからだと思う。
そこが分かるだけに、私も妻が重きをおく価値観を体感することへのモティベーションが沸く。実際つきあってみると自分がこれまで分からなかった世界であったりもして面白い。
これが、当初から私の趣味に無関心どころか、否定されていたら、彼女の趣味にも拒絶反応を示していたであろう。