腐れ縁の名前はADHDでした。
二十余年の生きづらさにようやっと名前がつきました。
ADHDです。
先生「ADHDだね」
矢白「やっぱり」
先生「どう思った?」
矢白「腑に落ちました。やっぱりそうだったかって、ちょっとほっとしてます。」
先生「そっか!」
先生&矢白「ガハハ!!!」
生きづらいな?
ここ半年で、コミュニケーションで悩むことが増えました。
悩むようになったきっかけは、職場の同僚とプライベートで遊ぶことが増えたことです。
その時々に「矢白さんって、質問の斜め上の答えを言ってくるよね」「噛み合わないなぁ笑」と言われることがありました。
自分では相手の質問に答えているつもりですが、相手の望む答えではないようで、どうしてだろう?と思うことが多々。
なんで相手の望む答えが分からないんだろう、なんで相手の質問の意図が汲めないんだろう。
世間話ができない。会話が成り立たない。
これは私にとってとてつもない打撃でした。
でも、職場の同僚はそんな私でも、遊びや飲みの誘いに声をかけてくれます。話題を振ってくれます。
だから、これをただの私の性格云々で放置するのは相手にとっても私にとっても良くない。
せっかく周りに恵まれたのなら、その人たちが嫌な思いをしないようにしたい。原因があるなら、改善したい。
そしてもう1つ、気になることがありました。
私はイレギュラーなことがあったり、先の見通しがわからないと慌ててしまい、何をしたらいいか、どう対応したらいいかわからなくなり、強い不安に襲われます。
そのため不安になったときは、予め自分の考えた対応や意見を伝え、同僚や上司にどうすればいいか相談していました。
そうすると、今までは「大丈夫だよ〜」と一言二言簡単なアドバイスだったのが、
ここ一、二ヶ月は「大丈夫だよ〜」のあとに、
「こうして、こうするといいんじゃないかな。そうしたらこうなって最後はこういうふうになるよ。」と具体的かつ先の見通しも教えてくれるようになりました。
ん?なんか周りの対応が違うぞ?
当然ですが、見通しがあるため私はやりやすいです。でも最近その対応に変わったことに気づき、「もしかして仕事場でも不安障害だったとき並のパニック起こしてるのかな……?」とふと思ったのです。
とにかく今苛まれている悩みの原因が知りたい。
そう思い、メンタルクリニックの予約を取りました。
診断されたよ
そうと決まれば早速行動に移しました。
大人の発達障害を見てくれる病院をネットで探し、予約を取る。通常何ヶ月待ちと言われる発達障害の診療予約。運良く一月後の予約を摂ることが出来ました。
予約日の今日、困っていること、病歴を書いたメモを持っていざ病院へ。
問診票に記入し、最初は心理士さんと困り事や今までの経歴、症状について1時間ほど話しました。
優しそうな女性の心理士さんで、控えめな相槌のおかげで冷静に話すことが出来ました。
その後先生の診察。
スーツでパソコンをぽちっている先生は、どことなく大学時代の教授に似てて、内心「○○先生じゃん…」と頭の中を大学の教授が走り回っていました。
先生は質問を用意していて、私はそれに答える。
質問に答えればいいので、むしろ楽でした。付け足したい時は付け足したり、質問の意図がわからない時は先生がこんな時ないかな?と具体的に教えてくれました。
質疑応答後先生のパソコンぽちぽちが終わると
先生「うん、ADHDだね。」
矢白「やっぱり」
ADHDと診断がつきました。
本来発達障害の診断はすごく時間がかかるものですが、私が具体的に問診票に書いたり、メモを残していたこと。母親にもそのケがあること。ADHDの困り事や傾向と私の困り事と傾向の合致。諸々の要因が重なり、
「今後知能検査などもするが、ADHDの診断が覆ることはほぼ無い。」ということで初診ながら、ADHDと診断されました。
次の通院で心理士さんとより詳しく検査を行う予定です。
人には人の発達障害
ADHDと診断はおりました。
診断を告げられたあと、先生から「発達障害っていうのはハッキリ線引きできません。ADHDの傾向を持つ人が自閉スペクトラム症の傾向も持っている、というのはよくある事です。」と説明を受けました。
今後行う検査はそういったほかの傾向(つまりほかの障害)を持っているかどうかを確認する意味合いが強いとの事でした。
先生「でも多分検査してもそういうの出てこないと思うんだよね。純粋な大人のADHDって感じだから。」
矢白「純粋な大人のADHD」
純粋な大人のADHD。
語弊を恐れずに簡単に言うと知的な遅れが無いタイプのADHDの事だそうです。
なので学生時代は得意不得意はあれ勉強には着いてこれたし、社会人になっても苦手な部分をほかの点で一生懸命カバーしているので気づきにくいし、周りも分かりにくい。
大人になってから、ある拍子に困りごとに気づいて診察を受けたら実は…というパターン。
私の場合は、それまでプライベートで関わることのなかった同僚と関わるようになったことで、困り事に気づくことが出来ました。
そういえば…
矢白「そういえば、よくADHDの子は多動のせいで席に座れないとか言うじゃないですか。でも私ちゃんと席には座ってたんですよね…」
先生「席に座ってた時、何してた?何もすることがない時、手遊びしたり、なにか考え事とかはしてた?」
矢白「色々考えてました。」
先生「連想ゲームみたいにポンポン色々考えたり思いついたり…」
矢白「はい」
先生「大人になってからも、何もしてない時やじっとしてる時、頭の中で考え事とかする?」
矢白「はい」
先生「それも多動なんだよ。見えないだけで、頭の中はずーっとフル回転してる。それも多動の1つなんだ。」
矢白「昔YouTubeでADHDあるあるを見たんですけど、頭の中でBGMが流れたりするのも…」
先生「うん、それも見えない多動!」
矢白「マジか…」
見えない多動、かなり衝撃でしたがしっかり当てはまっていました。
障害とは言うけれど
先生「さて、ADHDってわかったけど、どう思ったかな?」
矢白「腑に落ちました。やっぱりそうだったかって、ちょっとほっとしてます。」
先生「そっか!」
先生&矢白「ガハハ!!」
先生「ADHDは困り事もあるけどその分強みもある。自分がADHDってわかったなら、今までの困りごとに対してどうすればいいか僕たち医者や心理士がアドバイスできるし、矢白さんが持ってる強みをより活かすこともできるから。」
先生が先の見通しを立てながら話してくれましたし、診断がおりたことで自分の今までの悩みの原因はADHDだと分かり、安心したのもあるからでしょう。
診察室を出る頃には、少しだけ晴れやかな気持ちになりました。
ラベリングかもしれない。
わざわざレッテルを貼られに行ったようにも見えるでしょう。
でも自分が何なのか分からないまま生きる方が、私は嫌でした。
今回の診断を免罪符にするつもりはありません。今よりも円滑にコミュニケーションを取れるようになりたい。せっかく人に恵まれているのだから、周りの人達とよりよい関係を築きたい。
自分の悩み事の原因がADHDという名前だった。
あくまでもその認識でいようと思います。
まだ折り返してすらない人生を、もっと楽しめるように。
やっと名前のついた腐れ縁と持ちつ持たれつやっていこうと思います。
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